【PERSONAL FILE】陸上選手 田母神一喜「ゴールテープの、その先の理想へ」

陸上選手 田母神一喜     
高校3年生時、全国高校総体・国体で優勝。
大学時代、日本選手権・アジア選手権で入賞。
今回は、国内外問わず結果を残し続ける彼に陸上を始めた経緯から人生における価値観、将来像について聞いた。
“孤独の競技”と呼ばれる陸上の世界で走り続けてきた彼の活動の背景や見据える未来について迫ることで、「陸上」というカルチャーをより深く知ることができるだろう。


道連れから始まった陸上人生


 ──自己紹介をお願いします。

田母神 現在阿見アスリートクラブという茨城県のクラブチームで陸上競技の中距離をやっております、田母神一善と申します。

 ──陸上選手としての活動の経緯を簡単に教えてください。

田母神 高校3年生の時に全国高校インターハイで優勝することができてから本格的に陸上競技の世界で生きて行こうということを決めまして。

進学した中央大学では世界を目指していきたいということで箱根駅伝や大会に挑戦してきました。現在はクラブチームでプロという形でやらしていただいてるんですけど、陸上競技でプロっていうのはちょっと珍しいので新しい形に挑戦していってるというような現在ですね。

 ──普段の練習内容やアスリートとしての活動を教えてください。

田母神 基本的に走る練習がメインなんですけど、週3回ほど強度の高い練習を競技場などでやっていて、その他はロードのジョグだったり、体を鍛える補強運動などを週6日で行って、1日は休むという形で活動していますね。

 ──時系列順にお聞きしたいのですが、まず陸上と出会ったきっかけを教えてください。

田母神 小学生の時からはリレーの選手だったりそういった形で関わる機会は多かったんですけど、本格的に陸上競技の世界に入ったのは高校生の時からでした。

中学校では野球部に所属して打ち込んでいたんですけど、友人に誘われて特設駅伝部に参加したんですよね。そこで走ることの楽しさを知って。高校では本格的に陸上やってみようというと思って始めましたね。

 ──友人に誘われて。

田母神 はい。野球部の同期だった友人が陸上駅伝部をやりたいということで、「俺やりたいからお前も入れ」っていうただの道連れという形で入りましたね。(笑)

学校で給食ワゴンを引いてたら手を掴まれてそのまま集合場所に連れてかれて(笑)今振り返ってみるとそれが人生のターニングポイントというか、転機となりましたね。

 ──そこで面白さに出会って高校でもやられたのですね。

田母神 そうですね。たまたま高校の陸上部の監督の奥さんが中学校の特設駅伝部の顧問の先生で。中学校の時は全く実績がなかったんですけど、彼女が「陸上やりな」ってすごく推してくれて。その繋がりで石川高校に入学しました。

 ──高校ではすぐに結果が出たのでしょうか?

田母神 全くですね。所属した陸上部の同期は駅伝の中でも活躍する選手が多かったので自分は学年でも下から数えた方が早いくらいの実力だったんです。1年生2年生とあんまり思ったような結果を残せず、試合にも出れないような選手だったので悔しい思いをたくさんした高校生活でしたね。

 ──辛い日々の中で辞めたくなることもあったかもしれません。どんな気持ちで日々陸上と向き合っていたのでしょうか?

田母神 負けず嫌いで頑張ってましたね。中学まで野球をやってたっていうこともあって個人でスポーツをするってすごく新鮮な気持ちでした。

例えば団体スポーツだったら他の人に力を頼ったりは出来るんですけど陸上って自分がやったことしか自分に返ってこないスポーツなので。そんな競技だったからこそ自分が走れない、弱いっていうことに対してすごく悔しさを感じて。そのおかげでやっぱり負けるのは嫌だ、強くなりたいっていう負けず嫌いでどんどん、成長できたのかなっていうのは思っています。

 ──競技の特徴だったり自身の負けず嫌いという性格からドンドンのめり込んでいったんですね。

田母神 そうですね。やっぱりいまもこうやって続けていることを考えると走る楽しさっていうのは高校の時に思ったのかなとは思ってます。

 ──大学では中央大学に入学し、世界に挑戦されています。当時の陸上への想いを教えてください。

田母神 高校3年生の時に世界ユース選手権に出ることができて。初めて日の丸を背負って世界に出た時に「これだな」「ここで戦いたい」ってすごい思ったんですよね。もとは、大学で行う箱根駅伝とかも憧れだったんですけどそこで初めて「世界と戦いたい」っていうことに目標が代わって。その旨を当時の監督に伝えた時に現在のコーチである横田コーチのところに練習に行って来いってことで送り出してくれたんですよね。そこが大きなターニングポイントになって。大学陸上の方にはあまり参加しなくなりましたね。

 ──どのように変わったのでしょうか。

田母神 横田さんの指導を受けることで結果が徐々に出るようになりました。大学4年生の時にはシニアのアジア選手権日本代表の方に初めて選ばれて。ただそうしたタイミングで大学の監督の方から箱根駅伝のキャプテンをやってくれないかという話をいただいて。ちょうど中央大学が駅伝で低迷し始めた時期だったのでどうしても一緒にチームに戻ってきてやってもらえてもらえないかという話で、自分でも迷ったのですがキャプテンを務めることを決断しました。

 ──中距離をやられていたと思うのですが、箱根駅伝は長距離です。やはり練習内容なども変わりましたか?

田母神 そうですね。全く別物です。

 ──やはり中距離を走ることだけを考えると長距離の練習は当時の田母神さんにとってプラスにはならないと思うのですが。

田母神 もちろん競技面のことを考えれば、競技者として東京オリンピックにチャレンジしたいし、アジア選手権に出れたということもあってチャンスがあると思っていたので、そんな中で駅伝という長距離種目に挑戦することに葛藤はありました。

ただ、横田コーチと話した時に箱根駅伝でキャプテンとしてチームをまとめるっていうことは人生で、学生で、2019年でしかできないことだという結論になって。オリンピックははっきり言って何年後もチャレンジできるので、箱根にキャプテンとしてチャレンジするという決断をしましたね。

 ──大学を背負う覚悟を決められたのですね。

田母神 そうですね。もともと中央大学は箱根駅伝に強いチームで。最多優勝を今でも持っている”古豪”って言われてるんですけど、当時は予選会で負けてしまうくらい落ちぶれてしまっていて。大学のユニフォームを着る上でそんな結果は悔しいなっていう思いはあったので、箱根に挑戦する覚悟を決めましたね。

 ──一年生の頃も副キャプテンを務められています。

田母神 そうですね。当時大学に入学した時、部内の環境がすごい悪いかったんです。部内の4年生を見て「こいつら本当にやる気あんのか」って正直思ってしまって。それを監督にガンガン直接言ったところ「じゃあお前らやってみるか」ということになって。そういった経緯で副キャプテンをやりましたね。ただ、結果的には自分は外で練習を始めてしまったのでチーム改革にコミットできなかったんですよね。4年生でキャプテンを引き受けたのもその経験での心残りが理由の一つかもしれません。


孤独の競技 / 仲間からの信頼


 ──現在はプロとして活動されていますが、大きな決断力が必要な気がします。

田母神 そうですね。一般的にはみんな実業団に行くからこそプロになるという決断は悩みましたね。もともと僕自身も実業団に入ると思っていたんですけど、横田コーチに「本当に自分がやりたいことを考えろ」ってアドバイスをいただいて。

そこで本当に自分が将来やりたい事を考えた時に地元の福島にクラブチームを作りたいなって思ったんですよね。自分のやってる中距離っていう種目は箱根駅伝みたいな有名なイベントがある長距離とは違ってあんまりメジャーではないんですよ。はっきりいって。

だからこそ難しい問題がたくさんあって。指導者が少なかったり、中距離選手が長距離に持っていかれちゃったり。社会人で中距離を希望して実業団に雇って貰える選手は年間本当に2、3人の限られた選手だけっていうのが現状で。そんな問題を変えたいっていう想いがありました。もちろん若手に関しても中距離を学べる環境がないので中高生向けの陸上教室とかも現役のうちからやりたいっていう想いもあって。そうした問題を解決してクラブチームを作りたいと思ったんですよね。

ただ、そうした活動をしながら競技にも打ち込むとなると、実業団という選択肢が難しいんですよね。会社の許可だったり、どうしても走ることがメインになってしまうので。そこで悩んでいた時に今所属している阿見アスリートクラブさんから勧誘のお話をいただいて。阿見アスリートクラブは小中高生の指導をメインとしてやっているんですけど、そこで若手の成長に関わったり、クラブの経営を学びながら将来自分のクラブチームを作る準備を今のうちからしたいっていうことでプロとして所属することを決断しましたね。

 ──転機となった出会いについて教えてください。

田母神 やっぱり現在のコーチである横田さんと出会ったことが自分の中で一番大きなことで。それまでは競技だけやってればいいって思っていたんですよね。早く走れればいいんだろうって思ってたんです。けど、挑戦するときだったり将来のことを考える上で「自分がどうなりたいか考えろ」って常々言ってくれて。例えば日本選手権とかで「なんでお前が勝ちたいの?」とかすごい聞かれるんですよ。ただ足が速くてただ勝ちたいだけではだめなんだよって話で。

勝ってその先に自分がどうなれるかっていうところまで考えて競技をやりなさいっていうことをすごい言ってくれたことでただ走るだけじゃないんだなということを学んで。そういった競技者としてどうあるべきかどう生きたいのかみたいなところを教えてくれたのは横田さんでしたね。

 ──活動を通した学びを教えてください。

田母神 最近競技者として一番大事なのだなあと思うのが「人を引き付ける力」なんです。将来自分がクラブチームを作りたいっていううえでも大切だと思うんですけど、「やろう」って言った時に一緒にやってくれる仲間が一番大事になってくるのかなと思っていて。

その上で大切なのは仲間からの信頼だったり行動力であったり。最後に一緒にやろうっていったときに「いいよ」って言ってくれる、そんな自分の「いいよ」って言わせる力とあいつなら大丈夫、やってくれるなっていう信頼だと思ってます。

 ──学びに至ったきっかけはありますか?

田母神 コロナ期間でバーチャルディスタンスチャレンジ*っていう企画をクラブで立ち上げた時に「引きつける力」の大切さをすごく感じましたね。県レベルの大きな大会なのでもちろん自分一人じゃできなくて。いろんな人に一緒にやろうぜって話をしたんですよね。そうやってたくさんの人が集まってくれて企画を動かせた時に何か一緒にやってくれる仲間がいることってありがたいことだしすごく力があることだって身をもって感じたんですよね。将来クラブチームを作るってなったらもっとたくさんの協力が必要なのでそういった「人を引きつける力」をもっと付けたいなと強く思いましたね。

*ネット上に陸上種目にチャレンジする動画をアップし、タイムなどの記録をランキングづけする企画。

 ──「引きつける力」に関して「仲間からの信頼」の必要性の話が出ましたが、陸上という競技自体は個人で取り組むものです。「仲間からの信頼」は競技自体においてどういったところで大切になるでしょうか?

田母神 そうですね、、確かに陸上は個人競技ですが、競技に取り組む姿勢という点でとても大切だと思います。本番こそ1人ですが、本番に至るまでにサポートしてくれる方は沢山います。指導してくださるコーチや一緒に練習をしてくれる練習パートナー、コンディショニングをしてくれる人など、それはひとつのチームだと思います。戦うのはもちろん一人ですけどその過程はチームだからこそ、そこの信頼は大切だと思っていますね。

 ──他のカルチャーに対する関心はありますか?

田母神 もちろんあります!結構いろんなスポーツに触れてきて、好きですね。それこそ以前取材されていたフェンシングの俊哉*も友人なんですけどすごいなーって思ってまして。陸上は陸上、フェンシングはフェンシングって分類するんじゃなくていろんなスポーツをいろんな人に楽しんでもらいたいって思っていますね。スポーツとビジネスの融合に関しても興味があります。

*FENCING PLAYER 西藤俊哉。詳しくはリンクより。https://cultureuniversitytokyo.com/2020/08/02/personalfilefencingplayertoshiyasaito/

97会っていう1997年生まれの色んなスポーツをやっている人たちが集まっているグループがあるんですけど、同じように97年生まれで起業したいっていう人たちの集まりがあるそうで。そことなにか一緒にできたら面白いなあって話をしてますね。やっぱりスポーツだけでは究極ビジネスは動かせないじゃないですか。その人たちが自分たちを使ってくれたら自分たちはスポーツ界の中で動かせる力はあるので、うまく融合できるんじゃないかなと。

特に今の陸上界は競技者にあんまり還元されないんですよね。箱根とかの駅伝もあれほど収益が上がってるのに学生にも一切還元されてないんです。駅伝って先頭を5分走るだけで4億とか7億とかの経済効果があるって言われてるんですけどそのお金ってじゃあどうなってんのみたいな。トップクラスで競技をやっているのにそういった現状なのは夢もないですし。スポーツ選手がもっとビジネスと融合してもっとお金持ちになってもいいんじゃないかなって思いますね。アスリートはやっぱり子供が憧れる職業であってもらいたいですし、陸上に進んでお金がもらえなくて辞めていった人達を見ています。そういったところが課題かなとは思っているからこそ、ビジネスとの融合にも興味はありますね。

 ──どんなカルチャーでもやはりお金という課題感はついてきますね。


カルチャーを壊し、新しいものを


──将来の展望を教えてください。

田母神 地元の福島で新しい形の実業団を作ることです。福島県って駅伝が凄く盛んで。市町村対抗駅伝ていうのがあるんですけど、それがめちゃくちゃ盛り上がるんです。視聴率も県内だけで40%ぐらい獲得するくらいすごい人気で。それをどうにかもっと盛り上げたいなと思っていて考えているのが実業団を作ることです。実業団って言っても新しい形で。実業団は基本的に一つ大きな企業がバックアップして企業の名を背負うんですけど、考えているのは企業をわざと限定しないで色々な企業にスポンサーをしてもらう形です。やっぱり一つの企業の支援だとどうしてもその企業の色が強くなってしまうんですけど、いろんな地域いろんな地区からいろんな企業が応援してくれる、福島県民みんなに応援されるチームを作って全国で戦いたいっていうのがありますね。

 ──お金のためというわけではなく郷土愛というか、福島のみんなに応援されるチームを作るという夢は素敵ですね。

田母神 ありがとうございます(笑)さっきも言ったように人と人の繋がりがすごい大事だと思っているので、狭い世界だからこそやるんだったらみんなを巻き添えにしたいってていうのが自分の中で好きと言うか、一つのテーマなのかなと思います。人を巻き込んでいろんな人と繋がりを持つことで陸上から企業にって広げていって県内を盛り上げたいなっていうのはありますね。

 ──今までの人生が反映された夢なのですね。競技者としての目標は?

田母神 やっぱりオリンピックに出ることが競技者としての一番の目標です。四年に一度というビッグイベントにかける思いってのはすごいなと。代表選考会レースを見ていてもやっぱり空気がガラッと変わるんですよね。四年に一度のチャンスをつかむっていうのは競技者にとって特別なことなのかなと思うのでそこを一つ大きな目標にしていますね。

あとは日本記録の方が2〜30年破られていなくて。なので日本記録更新とオリンピック出場というのが競技の中で一番の目標かなと思ってます。

 ──軸とする価値観は?

田母神 人を楽しませたいっていうことですね。陸上クラブとか実業団を作りたいって思った時に誰に幸せになってもらいたいかって考えるとやっぱり競技者だったり一緒にやろうって言ってくれる人なんですよね。もちろん自分も楽しいと思うんですけどいろんな環境を作りたいって思う自分のモチベーションの根底には「人を楽しませて人にやりがいを与えたい」っていうのがあるので。その価値観はずっと変わらないですね。

 ──Culture University TOKYOは「イケてるとはなんだろう」という疑問をテーマとして掲げています。あなたにとってイケてるとは?

田母神 この歳になって思うのはいい車に乗りたいっての一つあるかもしれないっす(笑)かっこいい車に乗ってるやつってイケてますよね(笑)

真面目に話すと、周りに人が寄ってくれてる仲間がいてくれる人やっぱりいいなって思いますね。どんなにお金があってどんなに足が速くてどんなに力があったとしても人が寄ってこない人って魅力的じゃないじゃないですか。なのでさっきも言ったですけど、何かやるってときに一緒にやってくれる人が集まるっていうのはイケてることだと思います。

 ──あなたにとってカルチャーとは?

田母神 世の中にはいろんなカルチャーってあると思うんですけど、自分の中でカルチャーというものは壊したいものだと思っています。カルチャーにはそれぞれに根付いてるものがあって、もちろん面白いものもあると思うんですけど自分のやってる中距離っていうものは世界でもマイノリティで。そういった陸上の課題である「中距離は弱い」という文化だったり「陸上選手は実業団に所属するのが当たり前」っていう文化を壊したいっていう想いがあるので、自分は文化とかカルチャーっていう括りを一つ壊して新しいものを作っていきたいのかなと思いましたね。

 ──ありがとうございました。

「ただ走るだけ」「個人と向き合う競技」
誰でも知っているからこそ、そうしたイメージがつきやすい陸上競技。
しかし、日本陸上を代表する彼の華々しい経歴の裏には圧倒的な個人の努力はもちろんのこと、恩師や仲間の存在など様々な人との関わり合いがあった。
これからも理想とする世界へと彼が走り続ける姿を見届けたい。

取材・構成 Shun Kawahara
撮影    Shotaro Charlie Ohno