【Nerd’s Records】ナーズ=レコーズ
誰しもが持っている好きなものへの知識欲。
それを追い求め続け、愛を深めた「オタク」たちが存在する。
Nerd’s Recordsではそんなオタクたちの記録を発信していく。
今回のナードは、ソーシャルワークの学校に通いながら、地域の繋がりづくりや人の心に寄り添い支援する技術を学ぶ’97年生まれの女性。大学では環境問題と人類学を専攻しつつも、リベラルアーツ教育に関心を持った。4月から岐阜県美術館のアートコミュニケーター「~ながラー」としても活動している。
本記事には、加速度的に変化する時代の最中で「豊かさ」とは何かという問いに対する答えを導き出すためのヒントが散りばめられている。縄文時代の文化から学べることは多くあるということだ。「巨人の肩の上にのる矮人」と言われるが、遠く離れた先祖の肩に乗ってみてはどうだろうか。
「あなたは今、豊かですか?」
と問われたら、どんな返答をするだろうか。一般的に豊かさと言えば、物やお金の豊富さを指すかもしれない。しかし資本主義的な価値観が崩れつつある社会の中で、そのような目に見える形の豊かさがしあわせと繋がっているのかには疑問がある。社会的孤立やさまざまな心の問題があちらこちらで聞かれる現代。時代の転換点の真っ只中を生きている私たちにとって、「豊かさ」の旗印は一体どこに立っているのだろう。
今回私が深堀りしたいのは目には見えない、簡単に測ることもできない心の豊かさについてである。大学在学中にキャンパス内で縄文遺跡の発掘調査をしたことから、私は縄文文化とその精神の豊かさに夢中になった。今回紹介する縄文文化について知ることで、「豊かさ」を見つめ直すキッカケになれば嬉しい。
縄文時代と考古学
先日、「北海道・北東北の縄文遺跡群」が世界文化遺産に登録される見通しとなった。文字のない先史時代としては国内初となる快挙だ。縄文時代は旧石器時代の次に当たる日本の先史における時代区分で、約一万年もの長い歴史を展開した。縄文研究は主に考古学の手法が使われる。考古学とは 「過去の人類が遺した遺物・遺構によって、人類の歴史を復元する」学問である。縄文時代についても、出土品をつぶさに観察・解析することによって、当時の暮らしぶりや文化が少しずつ明らかになってきている。
道具などの遺物や、住居跡のような遺構を通して、人々の生きた証や思いが透けて見えるようになってくるのが考古学の魅力だと私は思う。そこには、現代を生きる私たちと繋がる感覚もあれば、全く違った観念もある。それらを知ることによって人類の普遍性や、自分という人間についてより深く理解することができると思う。縄文人たちについても、知れば知るほど親しみが湧くような、人としての立体感や分厚みが増すような気持ちになってくる。考古学研究が明らかにしてきた縄文人の暮らしぶりは、全く古びていないどころか、さまざまな気付きをくれるものなのである。
縄文カレンダー
暮らしぶりを知るには、まず食生活を知るのが一番分かりやすい。手がかりのひとつになるのが、日本考古学の権威のひとりである小林達雄が提唱する「縄文カレンダー」だ。これは、縄文時代の食料の季節変化を円に書いて表したものであり、縄文人が季節の変化に合わせた計画的な狩りや労働を展開していたことを示している(図1)。狩りで言えば、年中狩りをするわけではなく、冬季に限って行っている。越冬するために、動物たちが秋に脂肪分を蓄えていることを理解した上で、栄養価が高い冬に狙いを定めて効率よく狩りをしているのだ。また、狩った獲物の毛皮ももちろん無駄にはしない。防寒のための衣服として活用するなど、狩った命を余すことなく生活の糧にしていた。
他にも多種多様な食物を組み合わせて捕食することによって、食料危機からのリスク分散を行っていたと考えられている。興味深いのは、そのためなら味の良し悪しにはあまり頓着しなかったという点である。美味しいからと言って少数のものに偏って捕食するのではなく循環的に食するという姿勢が、結果的に周辺環境の生態系の維持や安定的な食生活に繋がっていた。
研究の結果、狩りだけではなく簡単な栽培も行っていたことが分かってきている。ヒョウタンやエゴマなどの生育に手間のかかる品種の種や、自然のクリと比べると一まわりも大形のクリなどが集落近辺から出土したことから、周囲の自然環境にも積極的に手を加えていたと考えられている。このように、縄文人たちは自然の変化に対応しながらも、そのサイクルに介入することによって安定的に食糧を得ていたのである。この食生活の豊かさが縄文人たちの文化の土台となっている。
縄文革命
豊かな食生活の背景にあるのは、日本特有の四季のある温暖な気候である。旧石器時代以降、暖気が流れ込むようになったことで列島の気候は大きく変化した。温暖化により落葉植物が増え、それらをエサにする動物も繁殖し、多種の生命溢れる豊かな環境が生まれたのである。そのように環境が安定し、遊動生活から定住生活に変わると、時間に余白が生まれるようになった。そんな中、より豊かに生活するために導入されたのが土器と弓矢である。このことを一般的に「縄文革命」と呼ぶ。
縄文土器の発明により、植物のアク抜きや煮込み料理ができるようになった。それ以前の料理はと言えば、熱した石板(まさに縄文版ホットプレート)から出る遠赤外線熱を使った焼肉しか術がなかった。しかし、煮炊きという料理方法が加わったことで、それまでは流れ出ていた肉汁なども飲み干すことができるようになったのである。このように土器の活用によって、効率的に栄養を摂ることができるようになり、縄文人の食の豊かさはグッと増した。
もう一つの革命である弓矢の導入も効率化と関わっている。以前はやりを使い、折れたら本体を丸ごと作り変えていたが、弓矢は先端の矢じりのみを変えれば繰り返し使うことができる。改良が重ねられていく中で、最も効率的だと考えられているのが、細石刃尖頭器(図2の右端)である。これは、いくつもの小さな矢じりを作り、本体のスリットに差し込むことによって一つの矢として使うものだ。どこか一か所の矢じりが取れたり欠けたりすれば、その部分のみを入れ替えれる。資源の無駄を最小限に抑えるための知恵である。このような環境の変化による、定住化と生活の革命によって縄文人の暮らしぶりはより一層豊かなものとなった。この革命で生まれた時間的・精神的な余裕が土壌となって、精神文化が花開いていくこととなる。
縄文土器
縄文革命のひとつである縄文土器は、人々に食の豊かさをもたらしただけではない。土器は、縄文人の精神文化を表現するという役目を担うことになった。初期の縄文土器は、簡素で料理に使いやすいように作られていた。しかし、料理用の鍋として使われるだけではなく、盛り付けや貯えの用途から、埋葬や広義の祭祀用まで幅広く使用されるようになった。土器が容器という機能を超えた用途を兼ねるようになったのである。すると、次第に特定の意味を持つ文様が地域ごとに生まれ、集団のアイデンティティを表すようになる。例えば、高馬式はS字文、勝坂式はトンボ眼鏡状文というように、作った作者の個人の表象ではなく、地域間で共有された物語を伝える集団の表象としての意味合いが強かった。そのようにして、土器の各様式は独自性を発揮しながら、一定の期間をかけて周辺地域に広がっていった(図3)。装飾のバリエーションは豊富で、縄のねじりや文様の付け方だけで100種類以上あると言われている。傍から見れば、抽象的で何を表しているかがわからないモチーフであっても、共同体の中で同じ観念・コスモロジーを集団間で共有していたという事実が重要なのである。そしてその共通の物語の中で生きているということが、人々の繋がりを支えていた。
豊かな精神文化
このような精神文化を育んできた縄文人たちはどのような世界観を内に持っていたのだろうか。その文化を如実に表している「生死観」をもとに縄文人の世界観を探りたい。生死観を語る上で大切なキーワードとして「破壊」と「再生」が挙げられる。例えば、発掘現場でよくあることとして、一つの遺跡から一度に大量の土器が出土する。そのことから、壊れていようがいまいが、わざわざ捨てるという行為そのものに価値があったのではないかと考えられている。土器を「捨てる」ことが同時に「再生」することも意味していたのである。同様の例は人間の墓についても言うことができる。現代社会における死は、忌み嫌うものとして生活の場から切り離され外部化されるが、縄文時代の死は生と近い場所で溶けあって存在していた。集落の中心に墓があり、死者と生者が同じ領域内で過ごしていたのである。村の中で死ぬ命と生まれる命が隣り合わせにあることは、縄文人の世界観の中ではなんら不思議ではない、生命の循環のひと場面に過ぎなかったのである。
さらに、上述した縄文カレンダーを提唱した小林達雄は、「ウチ」と「ソト」という言葉を使って縄文の世界観を示している(図4)。イエを「ウチ」の出発点とし、ヤマによって隔たれるまで、「ウチ」と「ソト」は役割変化しながら緩やかに繋がりあっている。イエという「ウチ」を出たときに見える、ムラという近景、ハラという中景、ヤマという遠景。連続性のあるランドスケープの中で、常に「ウチ」と「ソト」との境界の狭間に身を置きながら、常に誰かの何かの存在を感じ、繋がり合って生活していたのである。このような繋がりに基づいた精神的に安定した暮らしが、ますます複雑で豊かな精神文化を醸成することとなった。
環境依存型経済
豊かな精神文化を蓄えながら、一万年以上続く持続可能な平和な社会を築いた縄文時代。その社会を根本的に支えていたのは、自然の摂理の中で「生かされている」という感覚だ。生かされた中で、自分のできることをする。このような「環境依存型経済」のあり方が共生・協働が当たり前の社会を作っていた。また、財産や装飾品を副葬した大きな墓が見つかっておらず、皆ほとんど差のない埋葬方法であることから、特定の権力者が存在しない等質社会であったと考えられている。釣り名人、土器づくり名人、植物採集名人など、それぞれが自分の得意なことを共同体のために役立てるという精神レベルの高い社会を実現していたのである。「違い」がありながらも、それが階級に結びつくことはなく、違いを活かし合いながら豊かな文化を築いていった。
このような「違いの活かし合い」は、ムラ内に限ったことではない。翡翠や黒曜石などの特定の地域でしか産出されない資源が、日本全国の遺跡で見つかっているのである。こうした事実は縄文時代に遠隔地にまで及ぶ広域な流通のネットワークが存在していたことを示している。縄文人は石を加工して狩猟具や調理具や工具など、機能や用途が分かりやすい「第一の道具」と呼ばれる道具をさまざま作り出した。一方で、部外者には意味や機能を知りえない呪術的な性質をもつ「第二の道具」も多種多様に生み出している。前述した翡翠のような装飾品もその内のひとつで、翡翠などの希少で価値の高いものを、その土地ならではの特産品とを物々交換することによって、ムラにはない他コミュニティからの資源も手に入れようとした。このような贈与経済は現在の資本主義とは全く違った、人間関係や地域の多様性に基づいた経済のあり方だったといえる。共同体の中で暮らしながらも、他の集団を排除することなく、緩やかに繋がるコミュニティの中で関係性を築いていた。
豊かさってなんだろう
最後に、時間の針をぐるんと回して2021年の現代について考えてみる。資本主義の終焉が言われ始めて久しいが、これからの社会システムはどのようにアップデートされていくのだろうか。その変化の一端を担っているのがZ世代とも言える。
紹介してきた縄文文化には、心豊かな暮らしを作る上でのヒントが散りばめられているのではないかと思う。縄文文化から学ぶ「豊かな」社会の形。特に私が縄文時代の豊かさと感じるのは、人々が共同体意識の中で支え合いながら生きていたという点である。現代とは違う装いをして見えるが、現代にもそのエッセンスを活かすことはできるだろう。例えば、「1人じゃない」じゃないという安心感を持てる社会。幅広い世代や国籍や価値観が入り乱れ、有機的な繋がりが生まれる社会。安心感と繋がりが、私の中の豊かさの旗印になりつつある。
豊かさの指標はいくつあっても良いし人それぞれ違うものだが、縄文文化がこの記事を読んでいるあなたの「豊かさ観」を拡張させ、自由に生きるための旗のひとつになればいいなと思っている。
【募集要項】
Nerd’s Records では自身の好きなもの・熱中しているものに関するコラムを募集。
Z世代(1995年以降に生まれた世代)の若者なら誰でも応募可能。※匿名での寄稿も可能
書きたいテーマと内容を400字程度にまとめ、自己紹介と併せて下記のメールアドレスまで。
cultureuniv.cut@gmail.com