インタビュー 多持大輔
1995年生まれ、茨城県出身。武蔵野美術大学映像学科入学後、初めて映画を監督。初長編作品である『冬のほつれまで』は大学院修了制作展にて優秀作品賞を受賞、第31回東京学生映画祭東学祭コンペティション部門にてグランプリを受賞、PFFアワード2020入選。現在はフリーランスとして映像制作を行いながら、武蔵野美術大学映像学科にて助手として活動している。
「孤独の中にこそ光がある」
──自己紹介をお願いします。
多持 多持大輔と申します。映画監督をやっていて、今はフリーで撮影や編集をしつつ、武蔵野美術大学の映像学科で助手として働いています。
──映像制作を始めたきっかけ、大学までの経緯は?
多持 小学生の時に、兄がホームビデオを回して遊んでいた影響で、自分もホームビデオに触れる中で、作るのって楽しいなと思ったのが最初です。大学は元々絵を描くことが好きなこともあって、なんとなく美大に行きたいと思っていました。それで高校生の時に映像コースのある美大を調べて、武蔵野美術大学に決めました。
──影響を受けた人やコンテンツはありますか?
多持 やっぱりさっきも言ったように最初のきっかけをくれたのは兄貴だったので、影響受けたかもしれないですね。コンテンツでいうと、小学生くらいの時に見た『崖の上のポニョ』に影響を受けました。そこでアニメーションだとかの、「ものが動く」っていうことと、宮崎駿監督の作品に興味を持ちました。ドキュメンタリーで、全部手書きだっていうのを知った時に、人の魂とか情熱が宿ってることを感じて、そこがよかったのかな。
それと、映画より小説とか音楽の方が読んだり聞いたりするので、そっちにも影響を受けてるかもしれないです。最近だとカネコアヤノさんが好きで、あとは元々BUMP OF CHICKENがずっと好きです。歌詞に「孤独の中にこそ光がある」みたいなメッセージ性を感じてます。人間は孤独だけど、孤独があるからこそ誰かを想ったり、喜びを感じられる。ということを汲み取って、作品に投影させたりしてますね。

もやもやが残る映画を作りたい
──映画『冬のほつれまで』を制作していく中で、学んだことはありますか?
多持 制作していて思ったのは、「自分だけの力って大したことないな」ということです。監督という立場でしたが、脚本の解釈とか演技のアイデアを、役者さんやスタッフに募ってましたね。今まで学部の時とかはワンマンというか、カット割り、脚本、役者の動きとかを全部自分で決めてやってましたが、大学院の修了制作を作るに当たっては、それを取っ払って、逐一色んな人にアイデアをもらいながら形にしていきました。自分自身の能力を「大したことない」って決めるというか。意思表示や意思決定はしますし、無責任な訳ではないですけど(笑)
──コンペティションは意識していましたか?
多持 コンペティションは全く意識していなくて、長編映画を作ったことがなかったので、そこへの挑戦という感じでした。教授に出せって言われるがまま出しました(笑)結構自信がないので、自分でブレーキをかけちゃうんですよね。そこを周りの友人とか教授陣の後押しでアクセルを踏ませていただきました。
──映画を作る際に、他の人に見られたいという思いは無かったのでしょうか?
多持 作品が生まれたからには、人に見てもらえるのが幸せだとは思います。でもあくまで内面から出る煮え切らない気持ちをなんとか表現したいというのが一番だったので、正直なところ誰に見られなくてもいいやと思って作ってました。
──自分の作品を制作する際のこだわりはありますか?
多持 わかりづらくしたいっていうのはあります。もっと、一目見て「全然わかんない」「何が言いたいの?」みたいな、もやもやが残るような映画を作りたいって気持ちが『冬のほつれまで』で出たのかな。
──賞をとることよりも、内面が優先?
多持 そうですね。その時々で吐き出したい気持ちとか、言葉では表現できない想いをなんとかして形にしたい。そこが優先ですかね。もちろん賞も嬉しいんですけど、嬉しいのは一瞬で、大体不安になるんです。「ひっそりしたいのになんでグランプリ獲っちゃったんだろう」とかばっかり考えて(笑)
──多持さんにとってのいい映画は、「もやもやする映画」ということでしょうか?
多持 そうですね。あとは、何も起こらない映画とか。『パターソン』って映画が好きで、淡々とした日常を描くだけなんですけど、それが良くて。何も起こらないんだけどなにか起きているような。その中のカップルとか犬の日常だったり。そういうのがすごい好きです。でも一番最初見たときは、眉間にシワが寄るような感覚だったんですよ。「なんだったんだろう」みたいな。もやもやがすごくて、でもなんかすごい気になって、何回も見て、「わかってきた」って。解決しない問題を考える行為こそがいいのかなと思います。美術作品とか、音楽とか小説とか色んなことに言えるんじゃないですかね。

──作品を見た人からの反響はいかがでしたか?
多持 PFFの授賞式で斎藤工さんから、「一回作品が世に出ることで、ある程度の指標が見る人によって定められるんだけど、それに対して、それに準じて作品を作っていくのか、もしくは一度頂いた評価に逆らう形で作品を作っていくのか。そこでまたこれからが変わってくるよ。」という言葉をいただいて。確かに「作品のこういうところがよかったよ」っていう声もあって、嬉しかったり頑張ろうと思えたんですけど、これからそれに対してどういう作品を作っていくのかという部分も大事だなと思いましたね。
あとは否定的な意見ももちろんあって。「どういうことかわからない」「眠くなる」みたいな。ショックでしたけど、でも「よくわからない」っていうのはある意味こちらの意図が伝わっているとも捉えられるので、よかったなとも思いました。
──『冬のほつれまで』は、主人公根本さんの、自分の世界を持っていて他人の干渉を受けない強烈な自我や、そんな彼女の日々がひたすら描かれている、と個人的に思うのですが、合っているでしょうか?
多持 観察ですね。観察の映画だと個人的に思ってます。「主人公の生き方もあっていいんじ
ゃない?」っていう提示というか。あとは、個人的な思いとしては僕の憧れを創りたかった。
──こんな風に生きられたら、みたいな?
多持 そうです。だってかっこいいじゃないですか。あそこまで吹っ切れたら(笑)偏見とか思い込みがすごく嫌で、そういうものを払拭したい思いがあります。個人という存在がもっと自由でいいのかなと。確かに他者から見たらすごく変で、いじめの対象になるような人を描いてますけど、でも「そういう人にもその人なりの生き方があっていい」っていうのを伝えたかったですね。
──他に大切にしている価値観はありますか?
多持 「曖昧なものを愛する」というか。白黒つけないっていうんですかね。曖昧だったりわか
らないものにちゃんと向き合うという感覚はすごく大事にしてます。
というのも、コロナ禍になってからすごく閉塞感を感じていて。そういう閉塞感って、ある対象を敵に回して思いっきり文句を言えば、とりあえず鬱憤は晴らされた感じになるじゃないですか。でもそれでいいのかな?と。敵を作らない、何かしら他の解決方法がないかを考えますね。単純な対立構造だけで物事見るべきではないというか、もっと曖昧で、グラデーションがあってもいいんじゃないかと思います。
そこから考える一つの方法は、「日常にあふれてるものを愛する」。例えば、落ちてる葉っぱがきれいだなとか、なんでもないようなことに関心を持つことで、もっと幸せに生きられるんじゃないかと考えたりします。
──映画監督として、今後はどう活動していきたいですか?
多持 一番は作品を作り続けたいというのがあります。毎年学校で「助手展」というのがあって、それに向けて否が応でも作品を制作しなければならないんですけど、助手になったのも、そういう環境に身を置きたかったからなんです。フリーだけでやっていたら仕事に追われて自分の作品を作らずに終わってしまうような気がしたので。あくまで主軸は作品を作り続けるということに置きたい。
でもフリーでの映像制作も、そこでしか得られない気づきがあるので、それを自分の制作に活かすために続けています。特に印象的に残っているのは、僕がよく映像制作をしている森美術館のWSで、ゲストとして参加していたアピチャッポン監督の言葉です。その方が「映画や美術作品を作ることは、自分自身をよく知る行為だ。日々の生活に流されることに対する抵抗であったり、自分が何がしたいのかをよく観察する行為なのではないか」とおっしゃっていたのですが、それを聞いて僕は今までの自分の作品に足りなかったことってここだなと思って。そういう気づきがフリーの方でもありますね。
今後の生き方については、お金を稼ぐ手段と作品を作るということは、僕の中では乖離しててもいいなと思っています。作品を作ることでお金を稼ぎたいってなったら、本当にやりたいことができなくなる可能性もあるし、それをやるぐらいだったら別の手段で仕事を取ってくる方が良いのかなと。あんまり先のことは考えていないですけど、今はそんな感じです。

それが無いと、たぶん僕は死ぬ
──何か映画以外の他のカルチャーへの関心はありますか?
多持 小説ですかね。去年割と読み漁っていて、今村夏子さんや村田沙耶香さん、西加奈子さんなどの作品をすごく読みました。それで感じたのが、小説にしかできないこともあるなぁということです。具体的にどんな部分かというと、言葉だけで絵が浮かぶというか。映画は絵を見せることで表現する媒体ですけど、小説は文章を読むだけで登場人物の感情やその身の回りの様子を具体的に頭の中にイメージできる。で、そのイメージの世界っていかようにも作れるじゃないですか。限定されないというか。そこがすごい面白いなと思って好きですね。あとは読み終わった後の達成感も好きです。こんな分厚いのを俺は読み切ったんだっていう(笑)
──なるほど。では逆に、映画ならではの良さはどこにあると思いますか?
多持 見ている人が一緒に空間を共有できて、その場にいれる感覚というか。その場所に溶け込める感覚がいいなと思いますね。小説は想像する余地があるけど、映画は完成されているからその場所により染み込んでいける。
──人生の中で一番心に残っている一曲を教えてください。
多持 一曲挙げるなら、BUMP OF CHICKENの『ディアマン』という曲ですかね。この曲はバンド形式じゃなくてアコギ一本で弾いてるんですけど、ボーカル藤原基央さんの幼少期から今に至るまでの出来事とか、そこに対する思いとか葛藤を歌っているんじゃないかと僕は解釈していて。そこには、紆余曲折あっても「音楽を続けていく」という意思表示が表れているように感じました。
僕にはそれがすごい響いて。映画制作ってすごく大変だから何回も「あぁもうやめよ。」って思うんですけど、この曲を聴くともうちょっと頑張ろうとか、作り続けていくことでしか生きる意味を見出せないよな、みたいな気持ちに駆り立てられます。そういう部分でめちゃくちゃ好きだし大切な一曲ですね。
──多持さんにとって、「イケてる」とは?
多持 人で言うと、「飾らない人」かな。ありのままでいられる人はイケてるなと思いますね。最初の方で、歌手のカネコアヤノさんが好きって言ったんですけど、それはまさにこれで。全然飾っていなくて、その人本人を見ているだけで「あぁいいな」と思えるんですよね。僕の周りの人もそういう人が多いし、武蔵野美術大学で出会って今もずっと一緒に仕事している映像制作の師匠もそういう人ですね。着飾らないし、思慮深くて、あらゆるものを許容できる。一緒に仕事したいなと思える人です。
──では最後に、「カルチャー」とは?
多持 生きる糧といいますか。それが無いと、たぶん僕は死にますね。日々生きてて、音楽が無くなったり、映画が無くなったりしたら何も楽しくないですよね、きっと。そういう文化があることで、なんとか保ててるというか、生きることができてる。だから生きる糧なんじゃないかなと思います。
──ありがとうございました。

取材 Kei Matsuoka
構成 Kiriko Fukutome , Nozomi Tanaka
撮影 Charlie Ohno, Keisuke Minami
多持大輔監督 映画『冬のほつれまで』はU-NEXTにて配信中。
また、7/4(日)ポレポレ東中野のspace & cafeポレポレ坐にて、『冬のほつれまで』が上映され、上映後には監督田持大輔、根本育実役の主演青根智紗、立花ほのか役の北崎杏佳の3人によるゲストトークも開催される。
詳細は以下より。
「KANGEKI 間隙」vol.12
■上映作品:『冬のほつれまで』(67分)
■開催場所:ポレポレ東中野 space & cafeポレポレ坐
東京都中野区東中野4丁目4−1 ポレポレ坐ビル1F
■アクセス:JR総武線 東中野駅 西口より 徒歩1分
都営地下鉄大江戸線 東中野駅 A1出口より 徒歩1分
■開催日時:2021年7月4日(日)
18:00開場|18:30開映(20:10終了予定)
ゲストトーク:多持大輔(監督) × 青根智紗(根本育実役)× 北崎杏佳(立花ほのか役)
■料金:1300円
■定員:25
■予約
氏名、人数、参加日を記入し、kangekispace@gmail.comまでお知らせください。
後日、担当・小原(オハラ)より確認の返信をさせていただき、予約完了となります。
※当日券はポレポレ東中野の窓口にて、朝の開館時間(9:40)より販売となります。
※予約で満席になれば当日券の販売もございません。
電話でのお問い合わせ:03-3227-1445(ポレポレ坐)
■公式サイト:http://pole2za.com/event/2021-7-4.html
■Twitter:@kangeki_open
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