2001年生まれ。現代アーティスト。高校在学中の2018年に仙台で初個展、翌年には東京・京橋でも個展を開催。また、サッカーJリーグのベガルタ仙台とのコラボ企画によるサッカースタジアム内での個展を実現させ、その全てで展示作品が完売している。企業や人気アーティストとのコラボレーション作品も多数製作。西洋と東洋、芸術と反芸術、大衆芸術とアンダーグラウンドの要素を取り込み、既存の芸術に黄色人種芸術を組み合わせた”yellow mixture”という独自のスタイルで、日本美術界の未来を担う次世代アーティストとして注目されている。
今回はそんな彼の、絵を描き始めた経緯から、制作する上でのこだわり、またそこに繋がる価値観まで様々な話を訊くことができた。
自分には「絵」しかない
──自己紹介と現在の活動について教えてください。
鈴木 鈴木一世といいます。現代美術作家として活動させて頂いております。

──現在の活動を始めたきっかけは何だったんでしょうか?
鈴木 絵を描き始めたのは幼少期の頃からなんですけど、巨匠とかを見て「死なないと絵で食べていくのは難しいんじゃないか」というステレオタイプみたいな印象はずっとあって。でも美術高校に進学してそこで現代美術を知って、自分の作風的にもこういう世界でやっていきたいなと思いました。高校3年生の時に東京で初めて個展をしたことが直接的なきっかけになったかな。
──絵自体に興味を持ったきっかけは?
鈴木 本当に自然に。記憶のない時からずっと描いていたので。自然な流れでこういう感じになったかな。他にいろんなことやってきたんですけど、基本飽き性で。でもずっと続けてたのが美術だったっていう。まぁペインティングですね。
──他には何かやられてたりしたんですか?
鈴木 一時期スケボーとかもやってたし、運動とかももちろんやってましたし。結構色んなことやってきましたね。
──でも絵が一番自分に合っていた?
鈴木 そうですね。合っているというか、描かないと罪悪感を抱くようになり始めて。絵しかないんだな、みたいな感覚で。
──罪悪感というのは?
鈴木 使命感に近いですかね。評価というか、周りの人に観てもらう前からどこかで「今月絵描いてないな」とか、「やばい描かないと」っていうような感覚に中学くらいの時からなってきて。
──誰かに言われてではなく、自分の中で習慣化したからということでしょうか?
鈴木 そうですね、習慣…あとは、ずっと絵を描いてきて、実家にも画材とかそういうものがずっとある環境だったので、「そういう環境が整ってるにも関わらずやらないのって何なんだろう」みたいな感じで。飽きることもなかったし、もちろん描きたくないっていう時期はありましたけど、描きたくないのと描かないのは違うので。ずっと描いてましたね。

──ご両親の影響もあったんですか?
鈴木 直接的な影響はないですけど、母親はアートメイクアーティストをしていて、父親が日本料理の料理人をしています。いずれもクリエイティブな、無からつくり出すものだと思うので、自然とそういうものに憧れを抱くようになったのかな。
──本格的に活動に至るまでの経緯は?
鈴木 自分でも考えてみると難しいですね。考えたことないっていうか、本当に小さい時から絵を趣味程度に描いていたので。自分ハンドボールをやってたんですけど、ハンドボールの高校に行くか美術高校に行くか、から始まってるかな。それで美術高校に行ったことによってアーティストさんと知り合って、そこでノウハウを教えて頂いて、個展をしてそこで新たな人と出会って。一方で、昔からの仲の良い人達から広がっていき、そこから新たな人と出会ってと。いろんな出会いが重なって今の活動に至ってますね。全部が要素としてあるのかなという風に思います。
──影響を受けたモノ、ヒト、コンテンツはありますか?
鈴木 コンテンツに関しては、音楽とかそういう所から影響は受けてたりとかはしますね。自分はバックグラウンドとなるカルチャーという部分ですごくいつもリサーチとかしてるんですけど、アートの文脈・流れと音楽の文脈・流れが結構リンクする部分とかがカルチャーとしてあると思ってて。そういう部分で音楽から影響を受けることは多いかもしれません。
モノに関しては、モノっていう表現が正しいかは分からないんですけど、結構メディアとか、そういう所から今の流れを汲み取って、思想的に絵画に落とし込むという事はあります。
──音楽とアートにはどういった部分で繋がりがあるのでしょうか?
鈴木 イコールっていう訳じゃないんですけど、例えば「アンダーグラウンド」っていうワードで、音楽にもそういうものがあるしアートにもある。ポップアートとかポップミュージックとか、古典的な物とか。対極に位置するものが関係性として似ているなというのを一個人として感じたりする。そういう所ですね。

──活動に至る経緯を伺ってきましたが、これまでで人生の転機となったような出来事はありますか?
鈴木 今のこの作家活動という観点からいうと、ビジネスで一緒にパートナーとしてやってくださっている方と出会ったことだと思うんですけど、自分自身「バタフライエフェクト」という言葉をずっと大事にしていて。その方々と出会う前に、その方々とつながりのある人と出会って、その人と出会う前に他の色んな人と出会っていて。元をただすと親同士が出会ったから。その出会うきっかけを作った人から。つまりすごく複雑に入り組んでいる人間の出会いっていう所から始まっている。なので、転機っていうのは一概に誰とは言えないですね。自分としても本当に全ての方と出会ったから今に繋がってるし、今後にも繋がると思うので。出会ってきたすべての人が転機になってるのかなという風に感じますね。
「ミクスチャー」というテーマ
──次に作品に関して伺っていきたいのですが、制作する上でのこだわりはありますか?
鈴木 最近意識している所としては、表現が正しいかは分からないんですけど、マスターベーションにならないこと。作品を発表するだけでなく、会場に観に来てくださったりとか、買っていただいたりとか、人様に見せるものなので、もちろん自分の描きたいものを描くというのは大前提として、利己的ではなく利他的に考えるという所は最近意識してますね。
──観る人が求めるものを作るということでしょうか?
鈴木 求めるものは意識していないんですけど、時代の流れとか文脈とか、そういうものを意識してます。でもそれはなんというか、みんなに好かれたいという風に思っているということではなくて。好きって言われるのはもちろん一番嬉しいんですけど、嫌いでも嬉しいんですよね。なんでもいいやじゃなくて、見て、「あ、この絵無理だわ」とか、「この絵めっちゃいいわ」とか、そこで良くも悪くも感情を動かせる絵というのを意識してます。

──制作する上でのインスピレーション元などはありますか?
鈴木 基本的に自然に勝手に筆が進んでいくっていう感覚に近いんですけど、それにプラスで絵画の構図的なものも考えなきゃいけない。色彩の配置とか、一つ一つの要素に意味合いを持たせるとか。一部の要素に過去のジャンルをちょっと自分なりにオマージュしたりもします。「ミクスチャー」っていう単語を僕は表現として使うんですけど、歴史的なものと自分のインスピレーションと計算したもの。それらを混ぜて作るっていう感じです。
──制作の工程としては真っ白な状態から始まる感じでしょうか?
鈴木 背景をまず描いて、モチーフを描く。結構油絵の描き方としては模範的な描き方ではないですけど。赤の下に黄色を置くことによって赤が際立つようにしているとか、色彩学的な所も意識はしてますね。デジタルアートじゃないですけど、レイヤーを重ねていくという意識です。
──ある程度描くものが浮かんだ状態で描き始めるのですか?
鈴木 描こうとは思ってないです。浮かんではいるんですけど、具体的な形とか完成図っていうのは完成するまで分からない。自分の作品は、計算するところは計算して、偶然性の部分はそれを尊重してっていう感じで描いてます。
──曲線を意識しているというお話を耳にしたことがあるのですが、それについてはいかがでしょうか?
鈴木 自然的なモノの象徴が曲線だと思うんですけど、そこら辺のコンセプトは少しずつ変わっている所です。今はどちらかというと、曲線を使って文化とか要素が入り組んで一つの物になって行く様を表現する、という部分で意識しているかもしれないですね。
──入り組むというのは何かを象徴していたりするのでしょうか?
鈴木 本当に感覚的な物なんですけど、曲線がしっくりくるって思ってて。曲線の中に直線的なグリッドが存在したりとか、斜めのグリッドは東洋の作品の構図を意識してたり、縦とか横の直線的なグリッドは西洋の絵画をイメージしたりとか。実際自分の中に「ミクスチャー」というテーマがあるんで、本当に一つ一つの要素が入り組んで全てのものが一つになる、という所は意識してます。

「アート」が自分の一部になっている
──活動を通した学びは何かありますか?
鈴木 お客様とお話させていただくという所が学びになりますね。友達とか目上の人とかとお話をするのは好きなんですけど、どちらかというと人と話すのは苦手なタイプだったんですよね、以前は。それでお客様と話すことによって否定的な意見から肯定的な意見まで自分のプラスに変えていけるようになったという所は、お客様に教えていただいた部分なのかなと感じます。
──否定的な意見というと実際どのようなものがあるのでしょうか?
鈴木 とにかく若いからダメと年齢のことを言われちゃったりとか、作品の光沢が邪魔だって言われたりとか。一年くらい前まではただただ落ち込んで、「そんなこと言わないでよ」みたいな感じでした(笑)。でも今はそうやって意見を言ってくれるとか、自分のYouTubeに低評価を押すとか(笑)、その方にとって大切な人生の一部の時間を僕の為に割いてくれているのもある意味嬉しいなと思って。僕に気持ちを伝えてくれてるっていうのはありがたい話ですよね。無関心より全然嫌いの方が嬉しいし、好きだったらもっと嬉しい、みたいな。それだけの話ですね。まだまだだと思うんですけど、一見マイナスに思えるものをプラスに昇華することを最近出来るようになりました。仕事の話が途中でなくなったりとかもあるんですけど、そういう話が来ることに意味がある、悪口を言われることに意味がある、ほめてもらえることに意味がある。そういう感じです。
──日本におけるアートの理解のされ方・関心の持たれ方についてはどのように考えていますか?
鈴木 最近だと「アートバブル」というワードが話題だったり、コレクターの層もだんだん若くなってきてたり。アート作品に興味を持ってくださる方々は確実に増えてきてるとは思います。その一方で、敷居が高いイメージはどうしてもあると思うし、美術館とか特にギャラリーとかそういう所に普段着で行っていいのかとか、ちょっと近づけない領域という風に思っちゃってる人が多いと思います。
あとはアートで食べていく、美術作品を売買して発表して、それを仕事にしていくっていうことへの温度差っていうのかな? 一般の方と画家の間に、僕とかもっと大先輩とかいろんな方がやってるフィールドに対しての捉え方の違いがあるのかなって。実際同世代というか、中学・高校の友達に「どういうイメージがある?」って聞いたら、「遊び?」みたいな感じで言われるたりすることもあるし、「お絵かき頑張ってね」みたいなこと言われたり。お絵かきって何だよって思いますけど(笑)。そういう所の温度差は感じてはいますね。
ただ、層としては絶対的にアート作品に価値を見出してくださる方々が圧倒的に増えてきていると思うので、これからもどんどんいろんな方が注目してくださるジャンルに成長していくんじゃないかなという風に思いますし、僕もその一部になって行きたいですね。

──アートで食べていく事の難しさについてはいかがですか?
鈴木 あんまり食べていくということにガツガツ意識はしてないんですけど、お金は後からついてくるものであって、自分のやりたい事をやって、もちろんある程度はビジネス的にも考えて、色んな人に観ていただいて、たまに買ってくださるとか。本当にお金は後からついてくるという感じですかね。やりたい事をやって、色んな人に観ていただいて、評価がついてきてっていう。そういう所では僕もまだまだ頑張らなければいけない、もっと幅広い層に観ていただきたいなと思ってます。
──鈴木さんが思うアートの魅力は?
鈴木 鑑賞することによって良い気分になってくださる方とか、セラピーにも使えたりとか、趣味・娯楽にもなるし、あとは資産価値にもなるし、経済を回すこともできる。多方面での需要があって、でも一人ひとりが違う価値観を持っていてっていう。それが一番面白いところかなっていう風に感じますね。
──作品に対しての価値観も人それぞれということでしょうか?
鈴木 そうですね。本当に娯楽としてみている人から、そこに資産価値を見出して絵を買う人とか、二次流通、セカンダリーによって、株として絵を売って儲けるとか。絵を買って値段が上がったら売るとかそういう人もいるし、色んな在り方があるって意味では面白いなという風に思いますね。
──鈴木さん個人にとってアートはどういう存在ですか?
鈴木 もちろん仕事・ビジネスでもあり、自分を表現する場所でもあり、自分の存在意義を見出してくれる要素という感じですね。本当に作品を描かないと僕、ただのダメ人間なんです。何もできなくて。人とお話したりとか、そういうのも全部、芸術というものがあるから自分に価値が見出せるんじゃないかな、みたいな。自分という存在を定義づけてくれたり、価値づけてくれてるもの、存在意義を見出してくれるのが僕にとってはアートかな。
──絵を描くことには使命感があるとも仰っていましたが、楽しいというよりも自分の存在意義に近いからということでしょうか?
鈴木 もちろん楽しいですけど、描いてることに意味があるというか。この言い方はちょっとカッコつけてるように聞こえるかもしれないですけど、よくクリエイターさんでこのジャンルが自分の一部になってるとかって表現する方いるじゃないですか。それを最近すごく感じますね。作品で自分を表現することがルーティン化してる。要するに自分の一部になってる感じですね。
一時代を象徴するアーティストへ
──鈴木さんが人生で大切にしている価値観などはありますか?
鈴木 さっきも触れたんですけど、「バタフライエフェクト」ということを大事にしてます。出会いもそうですし、しょうもない選択から重要な選択まで、自分が選んだ決断が今後なんらかの作用をもたらしてくるっていう。常にそういうのを意識して生活することによって、ずっとアンテナを張ってるじゃないですけど、ずっとスイッチオンの状態で生活できるっていう部分では、そのことを意識していることに意味があるのかなって思いますね。
──今後の展望について教えてください。
鈴木 海外で絵を発表していきたいっていうのがありますね。ただ、一番は日本でももっといろいろな方々にみていただきたいなと思っていて。さっきも言った通り嫌いでもいいし好きだったらもっと嬉しいし、人の感情を揺さぶることができる作品を描いていきたい。ムーブメントというか、一時代を象徴するアーティストに成長できたらいいなという風に思ってます。

──鈴木さんにとって「イケてる」とは?
鈴木 人によって全然違うけれど、大前提として僕の「イケてる」の基準は「偏見のない人」ですかね。自分の興味の無いものとか嫌悪を抱くようなジャンル、苦手なジャンルにもリスペクトはちゃんとあって、それを否定しない。「これ嫌いだから無理」とか言う人いるんですけど、それは違うんじゃない?という風に思っちゃいます。自分は興味が無いものでもそれはジャンルとしてちゃんと成立してる訳であって。あとは性格もそうですし人種もそうですし、もちろんカルチャーもそうですし、僕の作品に関してもそうですし。全部偏見がなくちゃんと理解がある人っていうのがイケてる人だなっていう風に思います。すべてが受け入れられる人がかっこいいなと思いますね。自分もそういう人になろうというか、意識して偏見なくフラットな視点でものを観るようにしています。
──鈴木さんとって「カルチャー」とは?
鈴木 カルチャーって、先人の方々が脈々と受け継いできたもので、そしてその要素が時代に適応していくことによって枝分かれして、そこから派生した新たなカルチャーが生まれて、それが複雑に入り組んでいってっていう。ただ原点は一緒のもの。時代に適応しつつ変化しているけれど、その一つ前、二つ前の物ですら評価されるものがカルチャーかなと。先人が脈々と受け継いで、僕たちも受け継いで、そして今度は僕たちの次の代の人たちが受け継いで。僕たちがみんな死んじゃったとしても新しい世代の人たちが僕たちの作り上げたカルチャーを先人が作り上げたカルチャーだと、リスペクトと尊重をしつつ時代に適応して変化していく。ある種ゲームの様に、提示されたクエスチョンにアンサーを返して、そのアンサーに疑問をぶつけてっていうのがカルチャーの入り組み方だと僕は思います。
──ありがとうございました。
取材 Nozomi Tanaka
撮影 Kiriko Fukutome, Ryo Mizuguchi
構成 Nozomi Tanaka, Kiriko Fukutome