【PERSONAL FILE】株式会社Ay社長 村上采 「コンゴ×地域×ファッション」地域に根付く精神性の表現

現役大学生ながら、アジア・アフリカと全く違ったカルチャーが根付く地域を飛び回り独自のファッション観を築き上げる株式会社Ay代表村上采。
今回はオンラインストアも開設し活動の幅を広げている彼女に人生における転機や活動に至る経緯を聞いた。


コンゴ、地元文化との出会い



 ──自己紹介をお願い致します。

 慶應義塾の総合政策学部の4年生です。株式会社Ayっていう会社を経営しています。内容としては、アフリカのコンゴのリプタっていう生地を使った洋服作りを1年前からやっています。現在は私の郷里が群馬県伊勢崎市なんですけど、そこの文化を継承したい、生産を拡大したいという想いから伝統絹織物『銘仙』を使った服作りも行っています。

 ──なぜ会社立ち上げを?

 やっぱり個人的な活動っていう枠だと影響力が小さくなってしまうというのと法人に対等に扱ってもらえないっていう弱点があるので覚悟決めて株式会社にしましたね。

 ──コンゴに興味を持ったきっかけについて教えてください

 もともとアフリカに興味をもったきっかけが高校生の1年間アメリカに留学をした時でした。やっぱりアジア人だということもあって人種差別のようなものを経験したんですね。アメリカって自由って言われてるけどその一方で自由は平等にないっていうことを目の当たりにして。ヨーロッパは好かれてアジア・アフリカはあんまり好かれないとか。

そういう社会の縮図を見た時に私はどうやってアジア人として生きられるのかっていうのを考えさせられました。そんななかアメリカの現地の人を考え方を変える活動をしている南アフリカの留学生の方に出会って。その人のパッションや考え方に魅了されてアフリカに興味を持つようになりました。

 ──そこからどのように行動されたのでしょうか?

 大学に入ってアフリカについて学びたいと思っていた時に「コンゴプロジェクト」っていうコンゴ×日本のプロジェクトを行なっているゼミを見つけて。そこに所属したことが現在の活動のきっかけにもなっています。

 ──めちゃくちゃ面白い内容のゼミですね、、僕たちも大学生ですが全く面白くなくて、、(笑)羨ましいです。

 そうですね。私たちの学部はみんなやりたいことをやっているイメージです(笑)

 ──コンゴで服を作ろうと思ったきっかけは?

 ゼミのプロジェクトでコンゴに行った際にNGOなどの団体がストリートキッズとかシングルマザーのための職業訓練として服作りを行っていることを知って活動にすごく共感したことがきっかけですね。あとは、参加したプロジェクトで学生の限界を見てしまって。一方的に日本人がやりたいことをやって結局現地には還元されてないような部分を身をもって体感したので自ら何かを作りたいと思ったこともきっかけの一つですね。

 ──コンゴに行った時に印象的だったことや日本との違いなどはありましたか?

 1ヶ月が限界だなみたいな感じの生活のレベルだったので、そういう原始的な生活の中で私が新しいことをしたいって言っても一人じゃ何もできなくて。外に行くのもコンゴ人が一緒にいないとやっぱり危ないし。

だからこそ人との繋がりがすごく強いから関係性を構築するために一つ一つの会話を大切にするとかコミュニケーションをとるとか、そういうことの大切さはコンゴに行ったからこそ改めて体感したことではありますね。

 ──采さんの郷里である群馬県伊勢崎市の絹を使った服作りも行われていますが、地元の文化を大切にされる意識もあるのでしょうか?

 そうですね。結構こだわりが強いですね。絹ってすごく扱いが難しくて。それでも伝統やその美しさを理解したうえで生産し続けることを選んだ地域の精神性がすごい素敵だなと思って始めましたね。

 ──まさにレペゼンですね。

 レペゼン群馬ですね(笑)群馬ってみなさんあんまり思い浮かぶものがないと思うので、群馬って言ったら私の会社が出てくるって言うのを目指したいなって思ってます。

 ──転機になった出来事は他にありますか?

 最近の転機は自粛期間にありました。今年の3月にコンゴに行って服を作る計画をしていたんですけど、それがコロナで出来なくなってしまって。当時はすごいもどかしかったんでふけど、「今何ができるんだろう」って闇雲に自分と向き合う時間ができたので、その時に「あの時私こうだったなー」って自分の人生を整理していくうちに自分の郷里の文化にもう一度目を向けたいなって思って銘仙を扱おうって思うようになったので。本当に最近が転機でしたね。


お互いに歩み寄る服作り


 ──活動のなかで学んだことや気づきなどはありますか?

 ものを生み出すときに私は一人で完結したくないなって思ったっていう学びがありましたね。ものづくりって誰かとやるからすごく思い入れが強くなるものだし誰か他の人が関わっていて、その人と私がシナジーを産むことでより大きなインパクトがあるのかなっていうのをすごい学びました。コンゴの人って結構我が強くて。私もちょっと強いんですけど(笑)

そんな中で意見をぶつかり合わせるんじゃなくて、しっかり自分の意見を持って言って一緒に形にするっていうプロセスがすごい大切だなというのはすごく学びになりましたね。

私自身も活動を通して一人で完結して服作りをするよりも、いろんな人を巻き込んで形にすることが好きだとわかったので、これからも色んな人と関わり合いながら服作りをしたいと考えています。

──逆に苦労したことはありますか?

 苦労はたくさんあります(笑)まずコンゴに行くのが大変。25時間くらいかかるんです(笑)まあそれはいいとして、アフリカの人は「服は見た目良ければいいじゃん」みたいな文化があって。だから裏をみるとめっちゃ汚いから日本だったら絶対売れないものもあったりするんです。そういう商品開発の面に関してはすごい苦労していて。だから何回も何回も「ここ違う、ここ違う」みたいに改善を繰り返していて。ただ「これを作りたい!」って言って作れるわけじゃなくてすごくいろんな苦労が積み重なってできたお洋服なのでそれを伝えたいなと思ってます。

 ──単純な疑問なのですが、アフリカの人って日本人に対してどういう印象を持っているのでしょうか?

 結構ジャパンドリームみたいなのは持っていて。私たちがアメリカにドリーム持つように日本って言ったらすごく憧れを持ってくれるんですよね。日本のこと大好きで絶対使う機会ないのに日本語学んでる人もいるんですよ(笑)
でも、それだからって私は日本っていうレッテルを使うわけではなくてしっかりアフリカの文化や人々と向き合って理解していきたいと思っています。

 ──そうした采さんの意識というのはやはりアメリカ留学の学びからきているのでしょうか?

 もちろんそれもあります。やっぱり人種差別のような経験をしたからこそ自分は対等に付き合っていたいという思いはありますね。
ただ、共通言語がないからこそお互い歩み寄れるという面もあると思います。アメリカに行ったら外から来る人は中の人の母国語である英語を話すと思うんですけど、アフリカでは私もコンゴの人も母国語じゃない英語を話さなきゃコミュニケーションできなくて。お互いが対等に頑張らなきゃいけないから、オープンマインドでやっていけたのだと思いますね。

 ──価値観が変わりました。日本に憧れを持ってる人がいるっていうのがすごくびっくりというか、嬉しい気持ちですね。


 シンプルでワクワクするような選択


 ──他のカルチャーに関心はありますか?

 あります。ダンスだったり音楽だったり。音楽はずっとヒップホップしか聞かないんですけどそれはなんかもう”私”みたいな感じですね。私を構築する一つの要素だから興味があるというかは、もうそれ、みたいな。(笑)
後は地方に根付く精神性にはすごく興味があります。例えば伝統産業みたいにその地域に根付いているモノってその地域の周りにいる人の価値観とかその土地が受け継いできた文化が絶対あって。そうした精神性を何かしらの形で表現して後世につないで行ってると思うんです。けどその構造がすごい好きで引かれますね。私の今の活動でも服と地域がつながった時に私の服ができるみたいな感じで考えています。

 ──それこそ将来の展望はコンゴ×日本の地域性だけではなくて、土地の名産をブラッシュアップして服に表現していきたいというのがあるのでしょうか?

采 そうですね、結果的にはそうなりそうだなって思ってます。いろんな場所に自分が入り込んでその地域の人やカルチャーをしっかり自分が体験して表現するみたいなところはあるのかな。

──服作りの幅をどんどん広げていくのですね。

──大事にしている価値観や座右の銘はありますか?

 自分が気持ちのいい選択をすることは心がけています。自分がやりたいって思うことを見つけられるのってすごいことだと思っていて。みんながあるわけじゃないじゃないですか。だからやりたいことが見つかったらそれは幸せなことだと思うしそれを大切に育てていきたいなと思っています。だからこそ、マイナスに捉えちゃうことじゃなくて、自分がワクワクするものとか好きって思うこと、直感がビーって鳴るものを選択して、それに没頭できるようなシステム作りをしていますね。

 ──僕たちがそうなのですが、普通の大学生だと就活のように「自分がやりたいこと」と「皆がやってるもの」の差に悩むことがあります。采さんはそうした葛藤などはなかったのでしょうか?

 それはありましたね(笑)就活もやってみたんですよ。内定を頂けたのですが、やっぱり自分の心がフィットしなくて。シンプルなのが大事だと思っているんですよね。例えば今の話だと私の会社と内定した会社みたいに色んな選択肢があると葛藤が生まれてしまうので、それが無くなるような選択肢がいいかなって思ってます。シンプルに、より自分に素直に選択するみたいな。

 ──夢はなんでしょうか

 現時点の夢は新しい銘仙を作ることです。銘仙は作り方の難しさや職人の高齢化が原因で生産が今できていないので、銘仙を復興させて新しいデザインや柄をアップデートしていきたいです。

 ──若い人がターゲットなのでしょうか?

 伝統を引き継ぐ担い手が私たちだと思っているので私が成長するにつれてターゲット層は上がっていくかもしれないですけど、今は若いに20代前半の方に着てもらいたいなと思ってやっていますね。

──若い人ってファストファッションだった、流行に乗ったファッションを好みます。采さんの扱う銘仙などは流行とは違ったカテゴリになるとは思いますがどのように若い人に届けようと考えていますか?

そうですね。若い人たちが伝統産業だったり、歴史が古いものを着たいと思わない理由はやっぱり手を出せない、着たいと思わないっていうのが一番だと思うので、よりかっこいいもの作ることで私たち世代に伝えられたらいいなと思っています。

 ──今の時代に合わせた服を作っていくのですね。

 はい。今の時代と価値観に合わせた服を作っていきたいです。

──自分たちのメディアのコンセプトとして”イケてる”とはなんだろうという疑問を掲げています。采さんにとって”イケてる”要素や人ってどんなものでしょう?

 その時その時の状況環境に合わせて変容できる人がかっこいいなと思っていますし、私もそんな人を目指しています。
それこそ最近で言ったら自粛でもう絶対外でちゃダメってなった時にそれを自分に適応させて今この時に何ができるかっての最大限に考えられて、実際に実行に移す人ってすごいかっこいいなと思ってて。葛藤はもちろん皆さんあると思うんですけど自分で考えて行動することがかっこいいなと思います。

──自分のやりたいことをどんな状況でも形にできるというか。

そうですね。自分の世界を実現させるためにはこの地球っていう環境じゃないとダメじゃないですか。宇宙じゃ生きれないし(笑)そこでどう最大化できるのかみたいなところを考えたいなって思っています。

 ──それでは最後に、あなたにとってカルチャーとは

 カルチャーって変わっていくものでその時生きている人が生み出していくものだと思うので昔からある文化を引き継いでいくというよりかはアップデートしてその時に生きてる人たちが構築していくものだと思っています。
それは具体的に私の活動で言うと、着物っていうものは昔は普段着として重くても着られていたけど洋服が入ってきて台頭されてしまった現状があって。今の人が好む動きやすい形に変えながらも、着物が大切にしているコアな部分は引き継ぎながらアップデートしていくみたいなことがカルチャーかなと思います。

 ──ありがとうございました。

本日9月12日、開設された株式会社Ayのオンラインストア・instagramも要チェックだ。
https://ay.style/

https://www.instagram.com/with__ay/

取材 Nozomi Tanaka
構成 Shun Kawahara
撮影 Shun Kawahara

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