【PERSONAL FILE】ICE HOCKEY PLAYER 三浦優希 世界に挑戦する23歳、日本人初のNHLプレイヤーへ。

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MLB、NFL、NBAと並ぶ北米4大プロスポーツリーグの1つとして位置付けられるアイスホッケーのプロリーグ“NHL”。日本ではあまり馴染みの無いスポーツだが、日本人初のNHLプレイヤーという偉業に挑戦する日本人がいる。三浦優希選手、23歳。その若さでアイスホッケー日本代表にも名を連ねる彼に、その世界挑戦の背景、夢、それを支える信念や、スポーツというカルチャーのあり方などについて話を聞いた。

※コロナウイルスの影響でオンライン取材を実施


世界挑戦への階段


 ──早速、自己紹介と現在の活動について教えてください

三浦 はい、三浦優希、現在23歳で、今年の7月で24歳になります。アイスホッケーをずっとやっていて、アメリカのNCAA Division 11というトップレベルのリーグに所属するミシガン州のLake  Superior State University 2に所属しています。日本人として初めてその舞台に来ました。アイスホッケー日本代表としても活動しています。

1全米大学体育協会が認可するアイスホッケーのトップリーグ
2全米優勝を過去5回達成している名門チーム

 ──簡単に、現在に至るまでのキャリアを教えてください。

三浦 簡単に説明すると、僕は東京で生まれ育ったんですが、高校二年生の時に、当時入ってた早稲田実業(以下早実)をやめてそこからヨーロッパのチェコという国に行きました。そこでクラドノというチームで2年半プレイした後に、アメリカに行くチャンスがあって、20歳以下のトップリーグで1年間プレイしました。そこで大学のオファーをもらって、現在に至るという感じです。

 ──アイスホッケーは海外に比べて日本人にはあまり馴染みが無いとは思いますが、アイスホッケーを始めたきっかけはなんだったんでしょうか?

三浦 ホッケーを始めたきっかけは、父親の影響です。元々国内のプロアイスホッケー選手で、98年の長野五輪でも日本代表としてプレイをしていて、その影響で物心つく前から始めていたという感じです。だから3歳か4歳のときですね。


 ──高校は早実ということでしたが、ホッケーが盛んな地域に行くという選択肢はなかったんですか?

三浦 ありました。実際、高校は北海道の強豪校から声をかけてもらったりはしていました。当時、東京で結果を残した選手がホッケーが盛んな北海道の高校に行って、大学で六大学などのホッケーが強い大学に戻ってくるというルートは主流だったんです。でも僕は、わざわざ北海道に行かなくても東京で日本一になれるんだぞと証明したいという思いがありました。あとは、父が早実アイスホッケー部のコーチをやっていたので、まだこの人のもとで学びたいという思いがあったので、早実を選びました。

 ──なるほど。お父様との関係性には、選手とコーチという一面もあるんですね。そんな中早実を辞めたのはなぜだったんでしょうか?

三浦 まず、高校の2年生の時に早実の留学制度があるというのを知ったんです。早実からお金を出してもらえて自分が行きたい国に夏休みの間2週間から3週間行けるというものでした。それを利用できることになって、夏休みにチェコに行ったんです。そもそもなんでチェコかというと、小学4年生の時にチェコに観光兼ホッケー観戦に行ったことがあって。チェコは北米に次いでアイスホッケーが強い国で、そこで見たプロのホッケーがとても感動的でした。今まで見てきたホッケーの中でも美しかったんです。自分が今まで見てきた北米のアイスホッケーは結構激し目の、ぶつかっていくのがメインのホッケーなんですが、チェコはどちらかいうとパスを綺麗に回して崩していくというものでした。そのプレイの質の高さを僕はすごい好きになりました。それで、小4ながらにチェコでプレイしたいという夢を持つことになりました。だから高校2年の留学ではチェコを選びました。チェコでの短期留学の間は、いずれ所属することになるクラドノというチームの練習に参加させてもらって、練習試合などもやっていました。そして帰国の前日に監督から呼び出されて、「うちのチームに残らないか」って言われたんです。それが早実を辞めるきっかけにはなりました。

 ──早実を退学するに当たって、周囲の反応はどういう感じでしたか?

三浦 そうですね。実際早実のアイスホッケー部って決して環境的に恵まれているわけではなくて、経験者と未経験者が集まっているチームだったので、経験者がどちらかというとチームを引っ張ってそれに未経験者が着いていくという形でした。そこで主力だった僕が抜けるということは当然チームに迷惑がかかるわけです。それでも、当時のチームメイトだったり学校の先生や父兄の方々も僕の挑戦したいという思いを快く受け入れてくれて。自分たちが苦しい状態になるっていうのを分かっていても自分の背中を押してくれたっていうのは本当に感謝していますね。

 ──その後 Lake Superior State University(以下Lake Superior)に入るということなんですが、そこへ入った経緯は?

三浦 チェコで2年半プレイし、アメリカの20歳以下のジュニアリーグで1年間プレイした後に、大学から何校か声をかけて頂いたんです。その中で、1番最初に声をかけてくれたのが現在所属しているLake Superior でした。当時僕はアメリカでプレイする中でなかなか思い通りに結果が残せない状態が長い間続いていたんですが、Lake Superiorは常に僕を気にかけてくれて、連絡をずっと取ってくれて、この大学が自分をこんなに求めてくれているならこの大学にできることをしたいという思いでこの大学を選びました。今年の9月から4年生になって、ラストイヤーになります。

Lake Superior メンバー(右から三番目が三浦選手)

 「挫折した時こそ、チャレンジの本質は問われる」


 ──海外にいる間はやっぱり壁も多かったと思うのですが、総じて転機になった事はありましたか?

三浦 大量にあるんですが、総じて言えるのは挫折を経験することができたっていうことですね。今まで自分がコンフォートゾーン、要は心地よい場所でやってきたと思っているんですが、その若者がいざ海外にいってチェコである程度結果を残してもアメリカで結果残せなかったり、骨折して試合に出れなかったりベンチにすら入れないっていう経験をすることができました。やっぱりこれは、自分がチャレンジをしていなかったら経験できないことだったなと思っています。こういうことを感じるのは思い通りにいってない時で、そういう挫折した時こそチャレンジの本質は問われるなと思っています。言葉の壁とかもそうですけど、うまくいかないことが日常茶飯事で起きるんです、海外って。それは自分がより高いレベルに挑戦してるという事なので、そこに行くとなると必ずつまずきます。その時に常に自分を支えになったのは、なんでここに来たのかという「なぜ」の部分を自分が考え続けたことです。「ここに来ることは自分が選んだんだから言い訳はできない」と自分に言い聞かせてきたので、そのメンタリティが常に自分を支え続けてくれたと思っています。

 ──すごくポジティブですね。

三浦 結構ポジティブだと言われることは多いんですが、個人的には日本にいた時はそういう感じじゃなかったです。でも海外で壁に直面せざるを得ない状況の中で、うまくいかないことが大前提というスタンスに変わっていったので、それがポジティビティーにつながっているとは思います。

 ──海外での経験を経て、逆に気づいた日本の良さなどはありましたか?

三浦 あります!日頃の食事だったりとか人の暖かさや礼儀正しさとかもあるんですが、特に、向こうで様々な障壁がある中で、どれだけ恵まれた環境にいたのかというのを実感できました。ただスポーツで挑戦していくと言う意味では、スピードとかの日本らしさってなかなか世界で通用しないところが多くて、結局自分がいるチームで求められることを常にハイレベルでやることが求められるのでプレイで日本らしさを出そうとかは意識していないです。

三浦 少し質問からずれるんですが、日本で活かしたい経験もありました。特に、自分が海外に行ったことで外国人になるという経験をできたことがすごく大きいと思っています。もし今僕が日本で困っている方を見たら、必ず手を差し伸べると思うんですね。それがなんでかといったら自分が海外で何も1人で出来ない状況になった時に助けてくれたのが当時のチームメイト、ホームステイ先の人達、道ですれ違った人達で、「困っている人を見たら助けてあげる」というのを当たり前のようにやってもらったので、自分もどこにいてもそうありたいなと思うようになりました。


「変えられる事と変えられない事を把握する」


 ──アスリートとしてだけじゃなくて人間としても磨かれたんですね。アイスホッケー人生の中で、影響を受けた人は誰かいますか?

三浦 まずはやっぱり父ですね。常に小さい頃から世界に目を向けるように育ててくれた人であり、一番の理解者であり、一番の厳しいコーチでした。そのサポートのおかげで僕はここまでやってこれたし、僕が今オリンピックに出たいと思っているのも父が長野五輪に出ていたことでそれを追い抜きたいと思わせてくれているからだと思っています。父がいなかったら確実にここまで来れていないので、感謝しても仕切れないですね。
もう1人影響を受けたのは、チェコのトーマス・プレカネッツという選手です。彼はモントリオール・カナディアンズという名門のプロチームで長い間プレイした大ベテランなんですが、その人が僕がチェコで所属していたクラドノというチームの出身で、クラドノで練習していた時にそこで交流することができて、トレーニングや日常を共にすることができたんです。彼の身長は178センチくらいで僕と変わらないくらいなんです。北米でプレイする選手にしては小さいんですが、それでも活躍している裏にはものすごい練習量があることを知ったんです。それまでトップ選手の練習を見たことはなかったんですが、とにかく練習量と練習への意識がすごくて。だから今のこの人があるんだって言うのを目の当たりにして、直に影響を受けました。表現するのが難しいんですが、自分よりすごい人に出会った時に自分が感じる「今上手くなれるぞ」というエネルギーみたいなものをすごい感じました。プレイや姿勢だけでなく人間性にも惚れました。自宅に招いてもらって1週間ほどお世話になったことがあるんですが、ファンサービスもすごく優しくて、プロのあり方を目の前で見せてもらった人です。

 ──練習量の話がありましたが、現在コロナ禍の中三浦さんは練習などはどうしているんですか?

三浦 今はリンクが使えない状態なので日本に一時帰国してから一度も氷上には上がれていないんです。でも、だからと言ってホッケーが上手くなれないわけでは無いと僕は思っています。スケートができないだけでそれ以外の練習は今でもできると思っているので、毎日スティックを握ってハンドリングというドリブルの練習をしたり、走ったり、今自分にできる準備をずっと続けています。最初は、この時間で下手くそになってしまうと心配していたんですが、個人的には今この時間を使って上手くなれるという考えに変わってきています。スケートができない今だからこそフォーカスしてできるトレーニングもあります。全体的には普段よりもスティックを持っている時間が長くなっているとすら思っているので、結構この時間をポジティブに捉えていますね。

 ──本当に、どこまでもポジティブですね、すごい。。。

三浦(笑)、でもそれこそ、挑戦をする中で僕は、変えられることと変えられないことを把握することは心がけています。例えば試合の日程や審判の質や相手というのは自分がコントロールできる範囲ではないじゃないですか。そうなった時に自分に何できるか考えたら、自分のコンディションを最高のものに持っていくことだったりそれまでの練習をどう活かすかという「自分で変えられる部分」なので、そこを意識するようにします。この考え方は自分の中で色んなことに応用されていると思います。
だから、コロナの中でみんな練習ができないというのは誰にも変えられないことで、変えられることは何かというと日々の自分の時間の使い方だったりすると思うので、ある程度変えられないところを諦めてそこに無駄なエネルギーを使わないというのは大事にしていますね。


 恩の還元


 ──日本のアイスホッケーシーンに対して思うことはありますか?

三浦 日本のホッケーに関しては、世界で戦っていけるチームかと言われたらまだそうでは無いと思ってます。育成システムでも世界には遅れを取っていますし、自分を含めた日本代表選手が世界でコンスタントに戦っていくための実力は現実的にはなかなかつけられていないのが課題としてあります。それは、今代表に入っている自分のような選手たちが果たしていくべき責任だと思っています。ホッケーシーンで僕自身が注目していて、力を尽くしたいと思っているのが高校、大学からアイスホッケー始めた人たちですね。なんでかというと、僕が早実でホッケーをしていた経験があります。未経験者の人たちは、上達する環境が整って無い為に機会を失うことが多いんです。その点僕は小さい頃から父親がコーチとしていて、家の近くにリンクもあって、海外でプレイする経験もできたりして現在のレベルに到達することができました。もちろんその為に自分もすごい努力はしたんですが、それ以上に周りからの恩恵も受けてここまで来れたと思っています。自分がこれまでしてもらってきたことを自分の中で留めておくのではなく、今度は僕がそれを還元していかないといけないなと考えているんです。それでいうと大学生から始めた人達は、ホッケーの楽しさに気づいてくれて、うまくなりたいという気持ちがすごく強い人たちなので、今その人達の力に少しでもなりたいと思っています。その為に、SNSで練習動画を頻繁に出したり、実際に大学の練習に参加して一緒に練習したりということを心がけています。大学でホッケーをやっていた人がずっとホッケーを好きでいてくれれば、例えば将来子供ができたという時にホッケーの魅力を伝えると思うんですよ。それに、その人自身もホッケーによって人生が豊かになると思っているので僕個人としては大学という年代に注目しています。だから、熱意を持った人に対して自分ができることはないかということを日々考えています。

 ──アイスホッケーの認知度という部分で、知らない人に魅力を伝えるとするとどういうところでしょうか?

三浦 他のスポーツにないスピード感と体のぶつけ合いが魅力という人もいるんですが、個人的には非日常を味わえるところがいいなと思っています。まずリンクに行くということが普通ではない訳で、そこで防具とかを着て目にも留まらぬ速さでホッケーをプレイすることが面白いところです。
でも、ホッケーはハードルが高くなってしまっていると思うんです。「今ホッケーの試合やってるからリンク行ってみよう」とはならないじゃないですか?だから、ホッケーをより普及させていくということを考えた時には、ホッケー選手側がそういう人達を受けいれる施作をやっていかなきゃなと思っています。

 ──非日常という点は他のカルチャーにも共通している部分な気がします。私たちはスポーツも一つのカルチャーとして捉えているのですが、スポーツが人々に与える影響はなんだと思いますか?

三浦 スポーツはやっぱり生活に根付いてるからあるもので、今コロナの影響で「やりたくてもできない」という状況だからこそ、「健康であり、平和であるからスポーツができる」ということを感じます。だから、スポーツができるということは世の中が平和であるという状態を表していると思います。


カルチャーとは共創


 ──それでは、三浦さんにとってカルチャーとはなんですか?

三浦 スポーツはやってると人と必ず関わるじゃないですか。例えばチームメイト、コーチ、相手、お客さん、それをまた見てる人だったり。自分が目に見えるところ以上に認識されていたりしています。だからこそ、アイスホッケーを軸に色んな人が関わり合いを広げていくということがスポーツにはあると思ってます。それが、スポーツがカルチャーの一つである所以だと思っています。例えばダンスだったらダンスだし、アイスホッケーだったらアイスホッケーという共通言語を持った人たちが一つになり新たなものを共創していくという部分がカルチャーとしてのいいあり方だと思っています。今人と会えない状況でより感じるのですが、直接会うことで生まれてきたコミュニケーションだとか人の熱量が伝わってきた結果カルチャーが生まれていくと思っているのでそこは大切にしたいと思っています。
あとは、何もない状態から誰かが突き抜けることで「こんなことができるんだ」となって燃え上がりを見せるのがカルチャーだと思っているので、僕が今海外でチャレンジしているということに対して常に僕がチャレンジする姿勢を持ち続けることで僕の背中をみて海外に行きたいと思う選手が出てきたり、ホッケーじゃなくても、自分もこんなことに挑戦してみようと思う人が出てくると僕は信じています。僕が早実、チェコ、アメリカと新たな環境にチャレンジを常にしてきた結果今まで見えなかった道が前に出てくる感覚を味わえたので、僕はこの挑戦をし続ける姿勢は失いたくないし、それを継続することで新しいチャレンジャーが生まれて欲しいです。

 ──今後の展望を教えてください。

三浦 アスリートとしての一番の目標はNHL選手になって、日本代表をオリンピックに連れて行くことです。だからこそ個人的にはこのラストイヤーにかける想いはとても強いです。北米でプロになるっていうのを目指している上で、まずは大学という舞台で結果を残さなくてはいけないと思っています。残っている1年という時間の中でどれだけできるかで自分の進路が決まるという意味で、岐路に立たされていると思っています。なので、どれだけ結果を残せるかというところに拘ってやっていきたいです。もう一つやり遂げたいのは、アイスホッケーを通して世界中を回ることです。ヨーロッパでもアメリカでもホッケーができたので、もっと色んな国でやってみたいと思っています。
ホッケーをやめた後にやりたいこととかはまだはっきりはないんですが、さっきも言った通り僕がしてきた経験を今度は回していくという責任を果たしたいです。僕が力を尽くすべき事や人が必ず出てくるので、常に手を差し伸べられる人間でありたいなと思っています。

 ──ありがとうございました。

日本人として初めてのNHLプレイヤーを目指す三浦優希選手。決して驕らず、謙虚に語る姿勢は、夢に現実感を帯びさせ、関わった人々を大きく惹きつける。アイスホッケーという日本では未だマイナーな世界を弱冠23歳で支えんとするその情熱と、底抜けのポジティビティーで、世界で躍動することは近い将来現実になるだろう。

三浦選手各種SNS等
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note
Voicy

<FIN.>

取材・文章 Charlie Ohno

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