【Nerd’s Records】#2 それも、あなたも全てアートだ

【Nerd’s Records】ナーズ=レコーズ
誰しもが持っている好きなものへの知識欲。
それを追い求め続け、愛を深めた「オタク」たちが存在する。
Nerd’s Recordsではそんなオタクたちの記録を発信していく。

 今回のナードは、草間彌生展を見たことでアートに興味を持ち始め、大学在学中に世界中を周り、800以上の展覧会に足を運んだ自称:日本で一番アートが好きな大学生。
 オークションでの高額落札が話題となり、度々注目を浴びるアート。だが、多くの人は「自分にはアートは分からない。難しい。」とアートと距離を置いているのではないだろうか。だが、今回のナードは、「 アートに必要なのは感性ではなく、論理だ。なぜなら、アートを評価するのは言葉であり、歴史であるから。 」という。そして、「アート」とは何なのか。是非このコラムを読んで考えてみて欲しい。



 アートは難しい。特に現代アートはよく分からないという人が多い。人気の展覧会に行っても写真を撮ることが目的になっている人は多くないだろうか。作品についてのキャプションを読んでも、難しすぎるし何がすごいのか結局わからない事は多くないだろうか。それに、よくアートがわからない人が口にする「私はセンスがない」「感性がないから」という言葉。これは間違いだと思う。アートに必要なのは感性ではなく、論理だ。なぜなら、アートを評価するのは言葉であり、歴史であるから。今までなんとなくいいと思っていたアート作品がなんでいいのか、すごいのか言葉で説明できるようになるだけでアートを見る楽しさがぐんと上がる。自称・日本で一番美術館に行く大学生である僕が、アートに対して多くの人が持っている間違いやアートの見方を取り上げながらアートのおもしろさを伝えられたらと思う。今回のテーマは「あなたはアーティストか、そしてこの世界はアートなのか」。有名なアーティストの芸術概念と作品を取り上げて、まずはアートに対する凝り固まったバイアスを外していきたい。これはアートで、これはアートではない。こうあなたが判断する理由は何だろう。美術館にあるからアート?じゃあモナリザが公園の柵にかかっていたらアートにならないのか?アーティストがアートと呼んだらアート?じゃあアーティストって誰のことだろう。どこからがアーティストでどこからがアーティストではないのか。曖昧で範囲がよく分からないアートの範囲を理解する一つの手段として、ヨーゼフ・ボイスというアーティストの提唱した概念から考えていきたい。


ヨーゼフ・ボイス


https://eiga.com/person/317181/

 まずは簡単にボイスがどのようなアーティストであるか紹介したい。ボイスは20世紀の中頃〜終盤に活躍したドイツのアーティストで、脂肪やフェルトを用いた彫刻やパフォーマンスアートを作品として発表する傍ら、政治や環境問題、教育にも関心を寄せて活動を行なった。ボイスの注目すべき点、これがアートなのかと頭を悩ませるのが社会活動家としての側面。彼は1972年以後、社会的、政治的活動を活発化させ、1974年社会改革について講義を行う自由国際大学を開設したり、「緑の党」欧州議会議員候補として立候補をした(結果は落選)。


7,000本の樫の木


 こうした社会活動家的側面の集大成が1982年、ドクメンタ7という芸術祭で行なった「7,000本の樫の木」というプロジェクトである。どういうプロジェクト(まだここではアートと呼ばないことにする)か簡単に要約すると、ドクメンタが開催されるドイツのカッセルという街に樫の木を7000本植えるといういわゆる植林活動である。では、本題に移ろう。これがアートであるといっていい理由。それはボイス自身の芸術概念にある。


社会彫刻


 それが「社会彫刻」で、彼はこの概念をこのように説明している。

 あらゆる人間は自らの創造性によって社会の幸福に寄与しうる、すなわち、誰でも未来に向けて社会を彫刻しうるし、しなければならない。

 もう少し簡単に説明すると、芸術とは旧来の彫刻、建築、絵画、音楽、舞踊、詩といった狭義の芸術の枠に囚われず、自らの想像力によって社会のために考え、決定し、行動を起こすという行動は社会という大きな彫刻を形作る芸術であり、それを行う人は皆アーティストであると宣言した。このフォーマットで考えると木を植えるという行為は、自然豊かな街という大きな彫刻を形成することになる為、この行為は即ちアートであるということになる。


あなたはアーティストか?


 では最初のテーマに戻ってその行動がアートかどうか、そしてあなたはアーティストであるか?を考えて終わりにしたい。アーティストになる為にはボイスのように木を植えなくてはいけないのか?そんなことはない。自身の良いと思う社会を作ってくれるだろうマニフェストを掲げる政党に選挙で票を投じることだってアートだし、環境負荷の少ない製品を選択して購入するのもアートだし、もっというと朝起きて隣人に挨拶することですらアートになりうる。そこにあなた自身の作りたい社会と考えがあり、その為の決定と行動であれば。
アートが小難しいものだと思っている人は、そんなに身構えないで欲しい。あなただって立派なアーティストなのだから。
 次に、目を外に向けて欲しい。あなたが家にいるならば、テレビや机といった家具が目に入ってくるだろう。もしくは外にいるなら見えているものは、高層ビルやコンビニのネオンや街頭の灯りかもしれない。では、果たしてこれはアートなのだろうか。そうではないと言える明確な理由は?当たり前のものすぎて、考えたこともない人がほとんどだと思う。実はこうした身の回りのもの全てがアートだとしたら、今までと見方が変わるかもしれない。この世の全てがアートになる。そんな壮大な作品を作った人物が赤瀬川原平である。まずはどんなアーティストなのか紹介したい。


赤瀬川原平


 赤瀬川はとにかく多彩な人で、芸術のみならず、マンガ、文筆、写真など様々な分野で活躍した。芸術活動に焦点を当てると、「首都圏清掃整理促進運動」と銘打ってオリンピックの開催に湧く東京・銀座の街を白衣を着て道路の路面を雑巾を使って清掃するという奇妙な活動を行ったり、

千円札の模型を作ったり(この作品は通貨及証券模造取締法違反として有罪判決を受けている)、

マンションの上からモノを落としてみたり、、

とアバンギャルドな作風が特徴。一見はちゃめちゃな作品ばかりを作っている赤瀬川の作品のなかで注目したいのが「梱包」シリーズ。


世界の全てを包む。全て?


 赤瀬川はまず、身の回りの日用品を包むことから始めた。何でこれがアートなのかを便宜的に説明するなら、日常的にあるものを包むことで普段見て触れて使うモノを包んでしまうことでその機能を奪い、そこにただ存在するだけ、つまり彫刻化してしまうから。とか姿を見えない状態にすることで、モノを対象化させ、包まれたモノについて想像力を働かせる余白が生まれるから。と説明はここまでに留めておき、いろんなものを包んでいた赤瀬川だが気づいたことがある。この方法論では行き止まりがある、と。確かにそうだろう。身の回りのモノを包むことから始まり、巨大なビルを包むくらいまでなら時間と労力とお金をかければ理論上は可能である。しかし、もっと大きなものを包む、例えば街、都市、国、地球、、、と対象が大きくなると物理的に包むのは不可能になる。ここで生まれたのが次の作品である。


この宇宙はアートになった


「宇宙の缶詰」という名前のこの作品。まず当たり前だが缶詰は中に入っているモノ、その多くは食材を密封し、包んでいる状態にある。ラベルが外にあって、ブリキの中には食材がある。この前提を踏まえて、赤瀬川は蟹の缶詰の外側についているラベルを剥がし、中に張り替えてまた封をしめる。するとどうだろう。本来外にあるはずのラベルが中に貼られることで、缶詰の中と外が逆転し、缶詰の外にあるすべてが概念上では缶詰の中に成りかわる。これにより都市を越え地球、宇宙さえもこの世界の全てはこの作品の中に密封されている状態つまり、アートになったのだ。何とも荒技だが、巨大化していくと困難になる物理的な梱包に限界を感じた先に生まれたアーティステイックな切り返し。想像力と遊びゴコロ。この発想に面白いと感じた人はアートを純粋に楽しむ心があると思う。一見何かわからないモノと向き合い、自分なりに考えてみる。アートは作品だけでは存在することができない。このラベルが逆に貼られた蟹缶も誰の目にも触れなければただのブリキでしかない。それを作品にするか、ただの金属の塊にするかは見るあなたにかかっている。


【募集要項】
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