【PERSONAL FILE】Documentary Filmmaker/ Journalist Yuma Konishi(KONY)「かっこいい」を体現してポジティブな循環を生み出す

インタビュー ドキュメンタリー作家/ジャーナリスト 小西遊馬(KONY)
「人を動かすジャーナリズム」を掲げ、デモや難民キャンプ、危険地を取材。 ドキュメンタリー映像・写真に加え、取材道中の出来事や撮影者自身の日常をInstagramを中心にSNSで発信している小西遊馬(KONY)。国内外で数々の賞を受賞するなど、その映像は高く評価されている。そんな彼に今回、活動を始めたきっかけから、活動を通して感じたこと、音楽の影響、目指すジャーナリストとしての形、そしてカルチャーの捉え方までを訊くことができた。

interview teaser

親友の痛みさえ癒せなかった


 ──自己紹介と現在の活動について教えてください。

KONY 小西遊馬といいます。いろんな場所に実際に行って取材・撮影をし、ドキュメンタリー映像を作っています。

 ──この活動を始めたきっかけを教えてください。

KONY 元々イタリアに留学していた時に親友ができて、モロッコから来た難民の子だったんだけど当時は知らずに、毎晩シーシャ吸ったりお酒飲んだりして遊んでた。で最後自分が日本に帰るときに初めてその子がそういう生い立ちだって知ったんだよね。そしたら彼に日本は強い国だから君のような人たちが世界を平和にしてほしいと言われて。これが活動そのものを始めようとしたきっかけ。

 その時には実際に彼の体験記も聞いた。両親がいなくて、イタリアの里親の下で暮らしてるとか、船で来てその最中に色んな同胞が亡くなったとか。泣きながら話してくれたんだけど、その話を聞いたときに一切共感できなかったんだよね。次元が違いすぎて、意味が分からないし、何の話してるんだろうみたいな。でその時にかける言葉が無かったことに対する劣等感みたいなものがすごくあった。めちゃくちゃ仲良かった親友の悲しみさえ癒せないという事実に、今まで自分が学んできたことのチープさみたいなのを露呈した感じがして、キモいなって思った。学校で社会に出るための勉強って言われて色々学んできたけど、社会っていうのはそもそも人と人がいて初めて社会になるわけだから、社会を知るには人を知らないといけない。でも、数字とか歴史的な点と点をつなげた出来事の直線的なものを学ぶ。そこに人の声とか息遣いとかぬくもりとかはなくて。で実際この場面に直面したときに結局大切な人の痛みさえ癒せなかったってことにすごい絶望を感じた。
 色々な問題が社会では起きてて、一様にもっと優しい社会になればいいよねって唱えるのは簡単だし、また行動することも簡単ではないけどやることはできる。でも本当に優しくなるとしたらこういうボトムな部分から変えないといけないなと思った。そもそも他者の痛みとか願いとかそういうものに思いをはせるという想像力が僕らには欠如してる。ただ第二次世界大戦の年号を答えられるというのは何の意味もなくて、そうじゃなくて、その戦火の中でどういう人が生きてて、彼らはなにを思って、なにを願って、誰を愛したとか、どんな思いでサツマイモの蔦を食べていたのかっていう、その痛みとかに思いをはせられることの方がよっぽど意味がある。その感覚を養うことができるのがドキュメンタリーだなと思った。学問的に出来事を点で捉えて綺麗に羅列して論理的に語るんじゃなくて、もっと散らばった塵みたいな、出来事の周りにいる無数の息遣いみたいなものを届けるのがドキュメンタリーだから。

 このように、ドキュメンタリーを“作る”理由は、他者の痛みに寄り添える人がもっと増えたらいいということなんだけど、もう一つドキュメンタリーを“発信する”理由という部分では、具体的に何かアクションを起こす人を増やしたいというのがある。日本に帰ってきて、ヘルパーとして精神疾患者のコミュニティに触れたり、ホームレスの地域による生態系の比較研究したり、NPOの活動に参加したりとかしたんだけど、それで感じたのがそういった活動って今の段階では“絆創膏でしかない”ってことなんだよね。本質的に傷を作る元凶を退治できるってわけではない。それはなぜかっていうと人員があまりにも足りないから。
 それを現場で生で感じて、僕がこのままこういった活動に参加し続けても、少なくともその近辺の人たちを豊かにすることはできても社会を本質的に変えることはできないって気づいた。だから自分は人を増やす側に回ろうと思った。ドキュメンタリーを作って、より多くの人に発信することで、問題意識を持つ人が増えて実際に行動する人を増やしていきたいと思ったんだよね。

 ──大変なことも多い中で続けることができている理由はどこにありますか?

KONY やっぱり「感謝」は常にしてる。よくしてくれた人とか期待してくれた人を裏切ることは絶対したくないというか。もう始めちゃったし止まれないみたいなところもある。たぶん違うやり方もあるし、実際そう思うことも全然ある。もちろんやっていく中でやり方は変えることもあると思う。でも、「僕はこうやっていきます。」って言って背中を押してくれた人がたくさんいたから、一回結果残すまではやめないって決めてる。
 続けてるのはそれがデカいかな。取材で出会った人たちもそう。家族が目の前で殺されたっていう一度思い出したらその日はトラウマで寝られないような体験をした人でも、どこから来たのかもわからない日本の学生に「君なら話していいよ」って話してくれる。そういうのはすごく有り難いし、応えなきゃなって思う。信頼してもらった分は絶対返していかないといけないなっていうのは続けている大きな理由だね。


小さなブレが人の心を動かす


 ──活動してきた中で学んだことや衝撃だったことなどはありますか?

KONY どこまでいっても人はエゴイズムから抜け出せないんだなってことかな。それは自分自身を通して見えた。当初構想の段階では、実際に現場の人たちに出会って状況を見たりしていく中で、すごく利己的な自分から利他的な自分に変わっていくのかなって思ってたけどそうでもなかった。
 もともと人が利他的になるのは不可能だとは思ってて、利己でいいという考えだった。まず自分のことを十分に愛せてない段階で他者を愛するなんてことはできないし、そもそもほとんどの人が「自分は誰かに愛されているのかな」とか「自分の存在意義って何なのかな」とか「自分は他と何が違うのかな」とか「自分は特別な何かになれてるのかな」とかってことに24時間悩んで、それを肴にして酒を飲む。そんな中でみんな全員マザー・テレサだったりガンジーみたいになれとか言われても無理な話だろって。だから利己的な中でどうしたら他者と共存できるかっていう道を見つけることがベターだと思ってた。
 ただ同時にあまりにも大きなことに実際に触れたら自分もガンジーみたいになるんじゃないかなってどこかで思ってた。けどそんなことはなかった。どこまでいっても、どんな状況にあったとしても他人は他人なんだなっていう、僕とその人の間に見た社会の在り方みたいなものが見えたんだよね。エゴから抜け出す、というかそこを犠牲にするというのはあまりにも難しいことなんだなって感じた。

 ──他のカルチャーへの関心はありますか?

KONY 音楽かな。本当にオールジャンル聴くし、なんならドキュメンタリーは結構音楽から学んできた部分が多い。視覚情報があまりに強すぎて、画でごまかせちゃう部分がドキュメンタリーにはあって、でもやっぱり本物か本物じゃないかっていうのには、並びだったり、流れ、リズム、抑揚、ずらし、ハーモニーが大事。そこはすごく音楽的だなって感じるし、今もずっと音楽からインスパイアを受けてる。
 あとはカルチャーとして「音」は長い歴史に寄り添ってきたものだから、歴史の流れとしてどう世界に受け入れられていったのかとかがすごく参考になるなと思う。中でも特にブラックミュージックは勉強してる。というのも「ソウル」の部分がとてもドキュメンタリー的だから。ブラックミュージックって元々全世界の人間がマイノリティだと言うことを表明して、それが確実に全世界の人に刺さってスケールした、ものすごいカルチャーだなと思ってて。いかにしてソウルフルなミュージックになったかっていう変遷を知ってそれを映像の中に落とし込めれば、同様にドキュメンタリーというものが色々な映像の分野がある中でもメインストリームに来るようにできるんじゃないかなと思ってる。

 ──どのように落とし込むのでしょうか?

KONY 黒人の人たちはものすごく長い年月の中で、奴隷として蔑まれて明日生きられるかわからないという中で自分の言葉も禁じられて家族とも離れ離れで、唯一許されたことが日曜礼拝だった。そんな中で彼らが唯一触れたカルチャーが「聖書」なわけで、そこから教会で歌い始めた。自分たちの痛みや苦しみを表現して発散する唯一の手段が声にしてそれをメロディーにして歌うことだった。「crying」っていう泣きそうな感じで歌う手法がブラックミュージックにはあるんだけど、それってほんとまさに痛みの結晶みたいなものだよね。
 でもそれって映像にも同じような要素がある。自分の映像を後から見て思ったんだけど、あの時やる気に満ち満ちて、だけど初めて対峙する人間と理解し合えるのかとか、痛みに寄り添えるのかっていう緊張だったり、その現場で感じた痛み、衝撃から来る震えが直接カメラに伝達して何らかの小さなブレが起きてる。それって一見ただのブレなんだけどただのブレじゃないというか。そこから伝わるものが確実にあると思うし、その小さなブレ、ズレが人の心を動かす。そこにソウルの本質があると自分は思ってる。


「かっこいい」という形容詞


 ──どうやってより多くの人を動かしていけるか、将来の展望みたいなものはありますか?

KONY 社会に対峙している人間として、いかに自分がロールモデルとしてかっこいい存在になれるかってことにずっとトライしてる。それはなぜかっていうと、

 まず前提として、さっきも言ったように利己が利他になることは難しい。だからみんな利己的に生きていいじゃんって。その中でどうしたら他者を幸せにできるか、その仕組みを作ろうと思った。

そしたら「かっこいい」っていう形容詞が浮かんだ。C.U.T的に言うと「イケてる」だね。この形容詞結構みんなイージーに使ってるんだけど、ものすごい価値を持っている言葉だと思ってて。「かっこいい」ってhandsomeってことじゃなくて男女関係なく「nice, be cool」って意味だけど、じゃあなぜ人は「かっこよく」なろうとするのか。それって実は超単純で、「誰かから愛される」ってこと以外では説明できないんだよね。誰かから愛されたり認められるから、人はどうにかしてこの形容詞を自分に取り込もうとする。この「誰か」っていうのは他者もそうだし自分もそう。他者からも愛されたいし自分も自分を愛したい。
 そうやって誰かから愛されたいという意味でしかこの「かっこいい」という言葉が存在しないとしたら、他者の幸せを思った行為だったりその行為をする生き様ってものを「かっこよく」デザインすれば、みんなはすごく利己的にモテたいからやるんだけど、結果的に気づかないうちに他者に対してポジティブな影響を与えているという循環が作れる。そう考えた。

元々自分が問題意識として持ってたのが、この業界、世界に具体的なアクションを起こす人があまりにも少なすぎるということ。で、その最もの問題はそれがモテないってことなんだよね。それが人から認められて愛されるポジションとしてデザインされてこなかった。
 だからこそ自分がロールモデルとしてかっこいい存在になることで、その行為をかっこいいものとしてデザインしていく。究極この仕事だったり活動がスポーツ選手とか歌手とかと同等の立ち位置まで来れば、ナチュラルにポジティブな循環が始まるはずだから。そうやってより多くの人を動かしていきたい。

 ──カルチャーとは?

KONY 痛みと普遍性かな。たぶん痛みを伴わないものはカルチャーになれない。さっきのブラックミュージックの話と同じで、そのカルチャーの当事者自身の痛みが世界的に普遍性を伴って誰かの心の隙間にバッて入った瞬間にそれがカルチャーになる。喜びだけだとそれはたぶん成し得ない。喜びは消費されるんだと思う。痛みは支えになるんだと思う。だから、痛みが普遍性を持つことがカルチャーになるということ、だと思うし、それを自分はドキュメンタリー作るときに意識してるかな。

 ──ありがとうございました。

小西遊馬(KONY) Official HP
https://adococt.myportfolio.com/work

「もっと世界中の人たちが他者のことを想い、行動すれば世界は平和になるのではないか」
そんな浅はかな自分の考えはこのインタビューを通して覆された。
「人は本来利己的だし、それは悪いことではない。だからこそ、その中で他者を幸せにできるような仕組みを生み出す。」
実際に現地に赴き、肌で感じた彼だからこそわかる現実、課題、希望がある。彼はこれからもブレない信念とともに、伝え、自身を高め、人を動かしていく。

取材 Tsukasa Yorozuya
構成 Nozomi Tanaka
撮影 Shotaro Charlie
Ohno

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