
インタビュー 味見優
”音楽・美術”を人生の軸におき、その道で大成を目指す若者たちの憧れともいえる東京藝術大学。その大学で長唄三味線を専攻し、道を極めんと奔走する味見家三代目:味見優。
あまり馴染みがない”日本芸能”というカルチャーについて、長唄三味線を軸にその概要や彼のかける想いについて聞いた。
長唄はカッコいい
──早速現在の活動についてお話しください。
味見 今自分は東京藝術大学に通っています。東京藝術大学は長唄や鼓やお囃子みたいないわゆる日本芸能の専攻が唯一ある大学なんだけど、そこで自分は長唄三味線を専攻しています。
活動としては父親や祖父が長唄をやっているのもあって諸先輩方や父の世代の先生方から仕事をもらって演奏会に参加したり、「地方*」として日本舞踊の演奏を行ったりしています。
*舞に合わせて三味線を弾くこと。
──単刀直入に聞くのですが、長唄とは一体なんなのでしょうか。
味見 実は説明するのがめちゃくちゃ難しくて。やってる側でも何か分からないし、つかみどころがあんまないものなんだけど、俺が思ってるのは長唄はやっぱりカッコいいものです。日本人だからDNA的にカッコいいなって感じるのかな。
ただ、カッコいいっていう感覚が今の音楽とは少し違っていて。今のj-popの音楽とかは聞いてる中で「あ、このフレーズカッコいい」みたいな気づきがあるじゃないですか。長唄はちょっと予習が必要で。
──知らないとわからないみたいな。
味見 そうそう。今は川の音やってるから川の曲なんだ、とか。そういう前段階で聴く側が勉強して聞くと面白く聞こえるし、知らないで聞くとなんとなくかっこいいみたいなところで止まっちゃうものだと思います。
──なるほど。私はダンスをやっているのですが、はじめたての頃はダンスバトルを見てもわからないけどある程度スキルがついてくると、その凄さがわかってくるみたいな事がありました。
味見 そうそう。そういうところは共通してますよね。

──味見さんはプレイヤーとして長唄をやっていて、その分予習しているからこそ、長歌のカッコよさをわかっていると思うのですが、観客側も予習が必要だと思います。どうやったら長唄のカッコよさを知れたりはまっていけると思いますか?
味見 難しいですね。まずはやっぱり興味をもって長唄を聴こうって思ってくれることが大事だと思います。興味を持つとおのずとその曲について調べたりしてくれると思うから。
──舞台を観にいって長唄を知っていくっていうのが観客がハマる手段としては最適なんですか?
味見 そうだね。ただ難しい。今長唄が好きなおじいちゃんおばあちゃんとかってその人達がちっちゃい時はj-popなんてほぼない時代で。長唄が街中で響いてた環境で生きていたわけじゃないですか。
当たり前にあった人達は当たり前に知ってるんですよね。それが今はないから難しいよね。だからこそ、今の世代の人々にどう広めるかっていうところを考えていかなきゃいけないし、考えている最中です。
泣きながら練習した日々
──現在の活動に至るまでの経緯を教えてください。
味見 あそこに写真があるんですけど。

味見 そこにちっちゃい俺いません?(笑)2歳半だったんですけど。それが初めて舞台でやったやつで。うちの家系は祖父から長唄が始まってて、祖父が父に教えて、父から俺にという風に流れていって。ものごころ着く前からやっていたから俺は長唄が当たり前にある生活を過ごしてたんです。
もちろん今に至るまでにパイロットになりたいとかダイバーなりたいなとか色々あったけどそれをやりたいって気持ちとそれをやるために長唄捨てられるかって言ったら捨てられなくて。それで藝大に入った今はプロになろうと思ってやっているって感じですね。
──ものごころつく前からやっていたっていうのがあったと思うのですが、辛くはなかったのでしょうか?
味見 マジ辛かったです(笑)泣きながらやってたし。ただ、その辛さから逃げようっていうのはあまりなかったですね。
──どうして?
味見 好きだったから。かっこいいし好きだったからです。
ただ、苦しさで言ったら舞台をやる度にとっても苦しくて。クラシックと違って、長唄って舞台で譜面見ちゃいけないんですよ。一曲がだいたい15分だったり歌舞伎とかだと1時間とか平気であるんですけど、それを全部暗記しなきゃいけないんですよね。それを一音でも間違えるっていうのはもう死ぬようなもので。だから毎回の舞台で感じる「間違えたくない」っていうプレッシャーと、間違えちゃった時の「だめだ」っていう気持ちは本当に苦しかったですね。
──それでも辞めなかったっていうのは、好きだったところが大きいんですね。
味見 そうですね。好きだし、本番で自分が課題としてたところが出来た時は達成感はやっぱり大きいです。
──達成感というところで、僕自身はダンスを披露する際に自分自身が納得する踊りができたっていう達成感だけではなく観客の盛り上がりや観客のレスポンスが大きかった時にも達成感を感じます。味見さんはどうでしょうか?
味見 もちろんあります。基本はないんだけど、難しい演奏をした時にお客さんが拍手するんですよね。長唄の演奏なんて基本はみんなボーーッと見てて。みんな寝てんだか起きてんだかみたいな感じで静かに聞いてるんですけどそういう演奏をした時にパァーってみんなから拍手をもらうときがあるんです。そんなときはもう、上がりますね(笑)
自分を”消す”という文化
──転機になった出来事や価値観が変わった出来事はありますか?
味見 大学に入ったときですね。高校生までは同世代でちょいちょい長唄をやってる人だったり他の日本芸能をやってる人もいたんですけど、全然身近じゃなかったんです。で、大学生になってそういう人たちと同級生になって、試験の一環で一緒に演奏するようになって。みんなで何回も合わせて曲を作り上げていくんですけど、そういった時に心を合わせる大切さをすごい感じました。
というのも、長唄って他の音楽と違って指揮者がいないんですよ。例えばバンドみたいにドラムがビート刻んでってそれに合わせて演奏するみたいな。そのリーダーみたいな役割を長唄では「タテ」って呼ぶんですけど、演奏中は横を見れないから、演者はみんな「タテ」の演奏したい雰囲気を感じなきゃいけないんです。これを「意気合い」っていうんですけど、そういうのを同級生とやることによって「こいつはこういう感じか」っていうのを感じながらやるっていう出来事はすごく転機になりました。あ、楽しいなっていう。気持ちいいんですよね。

──“和”じゃないですけど、お互いで心を合わせて演奏するんですね。
味見 うん。すごく”和”なところだと思います。三味線だと「つれる」って言うんですけど。その人がどう弾きたいかっていうのを感じながら引くっていう。
三味線はだいたい5人くらいいるんですけど1番目のタテが2番目のワキに、ワキが3番目に、3番目は4番目に、、って感じで無言の伝言ゲームみたいに演奏していくんですよね。この経験を大学でしたことで「空気を読む」みたいなのはすごい大事なんだなって思いましたね。
──以心伝心のようで凄いことだと思うのですが、やってない身からすると、仲の良さなどが大事な要素になってくると思ってしまうのですがどうでしょうか。
味見 たしかにね。仲悪いやつだとちょっとあんまうまくいかないい気がするな(笑)ただ、プロになるんだったらそんなこと言ってられないからさ。だから”自分を消す”んですよね。自分がタテだったらいいんですけど、誰かがタテでちょっと自分の感じと合わないなと思っても、その人に合わせるように自分を消して、タテの感覚を後ろに伝えられるように演奏するんです。
──個人的な見解なのですが、長唄のような伝統的な文化って、型が決まっていてルールが多いからこそ「自分を消す」みたいな要素が大きいのかなと思っているんですけど、どうでしょうか。
味見 大きい。大きいですね。大きいからこそ個性を出すのはすごく難しくて。基本個性を出せるのはタテで演奏するようになってからで、それまではもう「自分はない」みたいなものなんです。特に三味線は全員にソロパートがある唄とは違って曲の中で演奏するパートがタテのソロか全員かの二択なんですよね。だから、三味線はタテになるまではいかに自分を出さないかって言うところが大事な部分になってきますね。
──自分を消すというのは喜ばしいことではないように感じてしまいます。やる上での面白さはどこにあるのでしょうか?
味見 確かにそれは難しいんですけど、長唄って皆を感じながら感覚を汲み取って一緒に弾いてないと平気でずれちゃうモノだから、タテの人を感じながら「あーすごいなこうやって弾くんだ」とか「うまいな」って思いながらやってて、そんな上手い先輩達の演奏を間近で聴けるのが楽しいし、そうやって自分がどんどんこの音楽のこと分かっていってるような感じも楽しいかな。
──大前提として演者みんなが長唄のこと好きっていうのがあるのでしょうか。
味見 そうですね。そうじゃなきゃできないと思います。
大切なものに全力の熱量を
──伝統芸能ということで、かなり歴史が長いカルチャーだと思います。その中でも世代ってあるじゃないですか。味見さんのような学生だったり、上の方だったり。世代ごとの雰囲気の違いはありますか?
味見 あります。身近で比較すると自分の祖父はすごくギャップを感じますね。現代って色々誘惑も多いじゃない。そういう中でやってる人たちと違って自分の祖父だったら一曲覚えられたらご飯食べさせてあげる、みたいなくらい、生きるか死ぬかで長唄やっていたんですよね。そんな彼らってやっぱりめちゃくちゃうまくて。そういう生きた時代と実力のギャップはすごく感じますね。
──先ほど現代は欲望も多いとおっしゃっていましたが、一方で価値観や生き方も多様化してきています。そうした現代の若い世代ならではの強みはあるのでしょうか?
味見 もちろんあると思います。長唄を若い世代に伝えるってなったら、もちろんめちゃくちゃ上手いおじいちゃんとかやってるのもいいんだけど、若い奴がやってた方が「すげえ」とか「若い奴がやってんだな」っていう風に捉えてもらえるっていう強みはあると思います。
長唄って昔ながらの怖い和尚さんとかおじいちゃんの文化とか、そういう印象があって敬遠されがちな気がするんですよね。「怖い」とか「敷居が高い」みたいな。そういう感覚を取り払えるのは若い世代だと思うな。
──instagramで拝見したのですが、クラシック専攻の方とも親交を深めていられます。芸は違っていても通じ合うものはあるのでしょうか?
味見 そうですね。洋楽の人とももちろん仲良くしてるし、バイオリンだとかそういう人たちの演奏を聞かせてもらって、「すげーかっこいい」とか「同世代でこんなできるやつがいるのか」とか思ったりして刺激になりますね。あとはやっぱりきつい練習しなきゃいけないとか、努力の裏付けみたいなところはみんな共通していて。藝大通ってる人は自分の人生の軸のところに音楽っていうのがあると思っていて、常にある宿題みたいな感じで音楽の練習があるから、そこは気が合いますね。

──尊敬する人や人生で影響を受けた人はいますか?
味見 身内なのは恥ずかしいけど自分の祖父。おじいちゃんはすげえなって思います。ってのは、さっきも言った通り命をかけてるっていうのもそうだし、何よりめちゃくちゃうまい。
「うまいな」って思うんだよね。基本は一緒に演奏できないんですけど、こないだNHKでうちの家系を取り上げてもらったときに一緒に仕事できたんですよね。そこでやっぱりすげえなと思った。弾き方ひとつとっても胸を打たれる。「こうなんなきゃ」、「超えなきゃ」って思ったんです。だから自分の目標だったり影響を受けたのは自分の祖父が大きいですね。

──今までの人生で自分の軸としてる価値観はありますか?
味見 大事なものと、自分にとっていらないかなっていうものの取捨選択をしっかりすることです。
──大事なものというのは人だったりモノだったり何でもなんでしょうか?
味見 そうですね。全体的に、「これは大事だ」というのにフォーカスして、これはいいかなっていうのは結構切っちゃいますね。
──他の人とは違う道が軸にあるからこそ、その取捨選択の大切さに気づいたんですね。
味見 そうですね。そうやって選択したぶん自分の熱量を捧げたいところに本気でいきたいと思ってます。友達なり長唄なり、ですね。
”若い世代”への情熱
──将来の展望について、教えてください。
味見 若い人たちに長唄を知ってもらえる機会を作ること。今長唄を好きでいてくれてる人たちはやっぱり高齢の方が多いわけで。将来的に若い人が好きになってくれて、お稽古になり演奏会なりに行ってくれないともう、破滅なんですよね。
だからこれから先どういう風にして長唄を若い人達が聴いてくれる機会を作るかっていうのをすごい考えてて。自分の中で一番大事なのは小学校で弾いたりとかですね。今一人教えてる生徒がいるんだけどその子は小学校で日本芸能に触れて、「長唄がかっこいい」、「習いたい」って言って俺のところに来てくれたんです。やっぱりそういう小学生とか若い子達に聞かせる機会を設けるのは大事だなって思ってます。実際に現在も上の方がやってくれている企画で若い世代だけでプロにも負けない舞台を披露する”清響会”というコンテンツにも挑戦していて。若い世代が演じることで親近感を持って観てくれると嬉しいですね。
──若い人に聞いてもらうものにしていきたいのですね。
──前取材させていただいた福田響志さんは落語と演劇をミックスさせた企画に挑戦されています。味見さんは長唄と他のカルチャーを混ぜるということに興味はあるのでしょうか?
味見 大いにありです。それこそ長唄でも上の方が長唄×落語の企画をしていて。そういう感じで今の人たちが受け入れやすいコンテンツを作るために他のカルチャーと混ぜるというのは大切だと思ってます。ただやっぱり、一人前になるのに時間がかかるからこそそういった環境づくりは上の世代にしかできないことでもありますね。
──主体的に動けるようになるのはいつ頃からなのでしょうか。
味見 プロにならないとやっぱり難しいです。この業界で名を上げるためには仕事をくれる先輩たちに認められなきゃいけなくて。だから技術的にも人間的にも良い印象を与え続けて、仕事をもらえたら全力でやって、っていう風に徐々に徐々に名をあげていくんですよね。
──大変ですね、、
味見 大変(笑) だからこそ今は全力でプロになることを目指しています。長唄の演奏家としてプロになるっていう軸をもちつつ、将来的には若い人が受け入れやすいコンテンツを作るっていう枝を生やしていきたいと思っています。
──あなたにとってカルチャーとは?
味見 臭い感じになっちゃいますけど、変な意味なく”生活”だと思います。これをやることによって生活できるし生活する中で自然とついてくるもの。だから、絶対になくてはならないもの。
コロナで一番最初に削られるのはカルチャーじゃないですか。食べて寝て飲んでれば生きていけるんだけど、それだと人生のQOLがめっちゃ低くなっちゃうわけで。長唄だけじゃなくてダンスもそうだしラップもそうだし。それがあることによって楽しいし生活に潤いが出るわけだから。だから自分だけじゃなくみんなにとっても生活なのかなって思います。
──ありがとうございました。

日本芸能。歌舞伎や三味線など単語こそ知っていてもその魅力やカルチャーについては知らない若者がほとんどであろう。新しいものが生まれ常識がすぐに変わっていく。そんな時代だからこそ今一度カルチャーを、日本を、振り返ってみる価値はある気がする。伝統芸能は決して”new”なカルチャーではないのかもしれないが、彼の生き方と見据える未来には確かな新しさがあるように思えた。
取材・構成 Shun Kawahara