
アート最先端の街、ニューヨーク。そこで学業に勤しみながらアート制作を行う一人の若者がいる。彼の名は法泉寺颯。今回はそんな彼に、アートとの出会いから制作における葛藤や苦労、アメリカのアートシーン、そして将来の展望などを訊いた。
一度アートから離れた
──早速、現在の活動について教えてください。
Hosenji 現在はニューヨークで大学に通いながら、アート制作をしています。ニューヨークに来たばかりの時は、アシスタントをしたり企業でインターンをしたりしていましたが、最近は自分のアート制作を中心に活動しています。
──アートを始めたきっかけは?
Hosenji 母親がファッションデザイナーだったことで小さい頃からアートに触れる機会が多かったんです。その影響で小1くらいから絵に興味を持ち始めて、近所の絵画教室に通い始めました。
──なるほど。そこからずっとアートに打ち込んできたんですか?
Hosenji いや、実は中学の三年間は一切絵を描いていなかったんです。というのも、小6の最後のコンクールで、自信のあった作品だったんですけど全く賞が取れなくて。「結果」をモチベーションに頑張っていたので、もういいやとなってしまいました。絵を始めた当初は、単純に絵を描くのが楽しくて、没頭する感覚がすごく好きだったからやっていたんですけど、コンクールに出始めてからは周りの大人に「すごいね」と褒められることに快感を覚えて、そっちが目的になってしまっていたんですよね。
──ではどうしてまた絵を描くことを再開されたんですか?
Hosenji 小5の時のコンクールで賞を取ったことで、オーストラリアに行かせてもらえる機会があって、その一緒に行った人の中にウクレレを弾く子がいました。オーストラリアの色々な場所に訪問する機会があったんですけど、自分は一応絵の作品は持ってったもののただ楽しんだだけでした。でもその子は至る所で、「ウクレレ弾くので聴いてください」「これ名刺なんですけど、僕のYouTubeアカウントがあるのでぜひ観てください」と拙い英語でもすごいアピールしていて。それを見てすごくショックを受けました。どんな小さなチャンスでも逃さないというパッションを感じて同世代にこんなやつがいるのかと衝撃でしたね。絵をやめていた中学時代も彼のことはチェックしていて、「彼は着実に前に進んでいるのに自分は何もしていないな」と感じていました。高校に入るタイミングで、やっぱり俺も負けずに頑張りたいと思い、また絵を描き始めました。
──どういった絵を描いていたんですか?
Hosenji 小学生の時は、ピカソや岡本太郎といったアーティストがすごい好きで、その作品を模写するなどはしていたんですけど、基本的にはオリジナルで何も考えずに描いていました。高校に入ってからは、芸大とか美大に入るための勉強をする画塾に放課後ほぼ毎日通って、技術的な部分など、絵の勉強を中心にしていました。
──アーティストの方って天才的な人が多いという勝手なイメージがあるのですが、絵に関して何か苦労したり努力した経験はありますか?
Hosenji 高校時代に、Sony Music と NYLON JAPAN が提携したオーディションみたいなものがあって、その最終審査で実際に展示形式で自分の作品をアピールして審査員の方が直接レスポンスしてくれるという機会があったんです。そこで小学生の時の絵と高校生の時の絵を出したんですけど、見事に小学生の時の絵は「おもしろいね!」高校生の時の絵は「つまんないね!」って言われました(笑)。ショックでしたけど、でも自分でも正直すごいわかるというか。高校生の時の絵は、小手先というかただの反復作業で自分でもわかりきったものを描いていて、新しいものを生み出しているという感覚は全くなかったし楽しさもありませんでした。でも小学生の時は、楽しさでがぁーと描いていたから見ても面白さがあったんですよね。だからその時からは、もっと感覚的に即興的な感じで描きたいと思って、毎日一枚何も考えずに描くとかやっていました。

ニューヨークという場所
──先ほど、芸大とか美大に入るための勉強をする画塾に通っていたとおっしゃっていましたが、そちらには進まずにニューヨークに留学をしたのはどうしてですか?
Hosenji 国内の大学に入りたいという気持ちがなかったのと、アートって大学で学ぶべきものなのかなと疑問に思ったのもありました。まぁ、あとは単純に海外に飛び出したいという本能的な気持ちが大きかったです。
──やはりニューヨークはアートの最前線ですか?
Hosenji だと思いますね。アーモリーショー Armory Show っていう世界最大級のアートフェアがあるんですけど、そこに行ってみたら世界中のかっこいいギャラリーが集まっていてそこで数億というお金が動いていたりするので、これがアートかと実感しました。あとは、僕の住んでいるブルックリンのブッシュウィック Bushwick という場所がアーティストのスタジオがたくさんある場所で。一年に一回「オープンスタジオ」といって、アーティストのスタジオを公開して作品を売買したりするイベントがあるんですけどそこで実際にアーティストの生活の風景を見て、アーティストって生活が本当にあるんだなと思いました。日本だと、アーティストという職業はあまり身近じゃないし、リスクの高い仕事だと少し敬遠されるような風潮がありました。でも、ニューヨークは逆にアーティストが多すぎて全然普通って感じです。そういう部分ではとても暮らしやすいなと思っています。
──日本とアメリカのアートシーンの違いって何かありますか?
Hosenji これは自分なんかが偉そうに言うと怒られそうですね(笑)。まぁでも個人的に考えていることはあります。日本では、自分の絵を「新しいね」と言ってくれる人が多いんですけど、実際アメリカだと僕のスタイルってありふれていて、良くて「形になっているね!」という反応なんです。なんでこんな違いが出るのかなって考えて、あくまで僕の推測なんですけど、日本人は美術館にはよく行くけどギャラリーに行く習慣はあまりないというのが理由かなと。美術館は“アートの歴史を観る場所”で、ギャラリーは“今のアートを観る場所”です。実際ニューヨークに比べたら、日本はギャラリーの数も少ないですし、“今のアートの身近さ”という部分で少し違いがあるような気はします。

アートを通じてアプローチしていく
──活動する上で何か影響を受けた人だったりコンテンツなどはありますか?
Hosenji 以前、ダンサーの菅原小春さんがドキュメンタリー番組で「自分が本当に心から楽しんだ時に、見てくれている人が鏡のように映る」と言っていたのを観ました。その後、実際にそれを体験した出来事があって。自分はジャズが好きでよく観に行くんですけど、ジャズピアニストの上原ひろみさんの演奏を観に行った時に上原さんが身体を動かすと会場の人が皆同じように身体を動かして、上原さんが笑うと皆笑ってしまうんですよ。会場全体が上原さんに乗っ取られているというか。それを観たときに「こういうの作りてぇーー!」って強く思いました。
あとはコンテンツで言うとチームラボ teamLab にはすごい衝撃を受けて、初めてアートをみて鳥肌が立ちました。今まで自分はアートを一枚の絵画でしかちゃんと注目して観て来なかったので、空間で表現しているのを観たときにその没入感というか実際に観ている人が体験、経験するアートというのがすごく新鮮でした。
──将来の展望について教えてください。
Hosenji 高校卒業してから留学するまで半年間、教育系の会社でインターンをしたんですけど、それを通じて教育が大好きになりました。自分ってアート以外でも好きになれるんだと気づいたし、アートを通じて教育という分野にアプローチしていきたいという情熱が芽生えました。
その方法としては、今は絵を描いていますけどこれからもずっと一枚の絵でやっていきたいとは全く思っていないです。むしろ人をたくさん集めて、チームラボじゃないですけどそういった大きいプロジェクトを立ち上げたいと思っています。何か“経験”を提供できるようなものを作りたいですね。
──最後に、法泉寺さんが考える「カルチャーとは何か」を教えてください。
Hosenji 衣食住に関係ないようでいて人が生きていく上ですごく大切なものだと思います。実際、音楽とかアートとかって人類が生存するために最低限必要なものではないけれど、はるか昔から存在していますよね。しかもそれが絶えることなく、現在まで受け継がれて、ちゃんとマーケットとして成立しているということから、人が生きる上ですごい大きな役割を果たしているものなんだろうなと思います。
──ありがとうございました。

このインタビューで、彼は今の自分の作品について全く満足していないと語っていた。そこには本気でアートに向き合ってきたからこその葛藤が窺える。常に新しいものが求められるというアートの世界で、彼は自らが感動し心を動かされた“経験”を武器にアプローチしていく。今度は自分がそんな“経験”を提供できるように。
<FIN.>
取材 Taiki Tsujimoto
構成 Nozomi Tanaka