【COLUMN】HIP HOP映画の金字塔『WILD STYLE』の魅力

新型コロナウイルスの影響により家にいることが多くなった現在、映画やドラマを観て時間を過ごしている人が多いと思われる。今回は、HIP HOPに関心がある人、カルチャーシーンに関わりがある人にぜひ観てほしい映画として『WILD STYLE』を紹介したい。

『WILD STYLE』は映画監督チャーリー・エーハン Charlie Ahearnと元グラフィティ・ライターのファブ・ファイブ・フレディ(フレッド・ブラズウェイト) Fab 5 Freddy(Fred Brathwaite)の二人によって企画が立ち上げられ、ニューヨークのブロンクスを中心に撮影が行われた史上初のHIPHOP映画である。 1982年のニューヨーク、サウス・ブロンクスを舞台に、アンダーグラウンドの世界で自由に描くことと、仕事として華やかな表舞台で描くことの選択に思い悩むグラフィティ・ライターを描く。

この映画の魅力は何といってもその歴史的価値だ。「HIP HOP」というカルチャーを全世界に広めるきっかけとなった作品だと言われている。

監督のCharlie Ahearn(左)とFab 5 Freddy(Fred Brathwaite)(右)
photo:http://www.theculturalexpose.co.uk/arts-culture/something-you-should-see-wild-style/

HIP HOPの四大要素を定着化

まず、HIP HOPと聞くと、サンプリングや打ち込みを中心としたバックトラックに、MC(ラッパー)によるラップを乗せた音楽のことを思い浮かべる人がいるかもしれないが、これは正確には「HIP HOPミュージック」または「ラップミュージック」という。「HIP HOP」とは、1970年代にアメリカ、ニューヨーク州のブロンクス区で黒人やヒスパニック系の住民のコミュニティで行われていたブロックパーティから生まれた文化のことを指す。

HIPHOP」という文化には「DJ」「MC(ラップ)」「ブレイクダンス」「グラフィティ」の4つの要素があるとされるが、この4つを結び付けたのがこの映画だと言われている。
監督のチャーリー・エーハンはグラフィティを中心とした映画を作る予定であったが、そこにファブ・ファイブ・フレディがDJ、MC、ブレイクダンスの3つの要素を持ち込んだという。パーティなどの場でDJが音楽を流し、MCがラップをし、それに合わせてダンスをするというように3要素が元々結びつきが強かったのに対して、地下鉄や路上に描くグラフィティはその3要素と必ずしも結びついてはいなかった。しかし、この映画の最後のシーンによって4つの要素は結びつき、世界中にHIP HOPの四大要素として示されることとなった。

『WILD STYLE』最後のシーン

初期HIP HOPの立役者が登場

この作品には、HIP HOP初期の形を作り上げた本物のMC(ラッパー)、DJ、ダンサー(B-BOY)、そしてグラフィティアーティストが多数出演しており、そのほとんどが本人役で登場している。ここでは、主な人物たちを紹介したい。

リー・ジョージ・キュノネスLee George Quinones/レイモンド・ゾロ役  

1974年より地下鉄でグラフィティ・アートを開始し、1976年にはグラフィティ・アート界の伝説的人物として名を馳せる。その後カンバスの絵画にも活動の場を拡げた。彼の作品はホイットニー美術館、ニューヨーク市博物館、フローニンゲン美術館、ボイマンス・ヴァン・ベーニンゲン美術館でパーマネント・コレクションとして展示されている。

photo:https://www.preservetheculture.network/graffiti-artists/lee-quinones/

ファブ・ファイブ・フレディ(フレッド・ブラズウェイト) Fab 5 Freddy(Fred Brathwaite)/フェイド役

監督のチャーリー・エーハンとともにこの映画の企画を立ち上げた人物。今作品では出演者としても登場。元はブルックリンのグラフィティアーティストであったが、ニューヨークのグラフィティ界やパンク界、ラップ、ブレイクダンス業界に多くの人脈を築き上げ、HIP HOP界のパイオニアとして知られるようになった。1980年代後半には世界初のHIP HOP番組『Yo! MTV Raps』の企画者兼ホストとして活躍。ミュージックビデオ監督としてもNas『One Love』など多くのラッパーの作品を手掛けている。

photo:https://alchetron.com/Fab-Five-Freddy#fab-five-freddy-d16e4dd9-e0ff-4429-adbe-129f6956f51-resize-750.jpeg

ビジー・ビー Busy Bee/本人役

アフリカ・バンバータAfrika Bambaataaメリー・メルMelle MelなどHIP HOPのオリジネイターたちとともに初期HIP HOPの立役者として活躍したMC。現在でも活動を続けている。

photo:https://www.discogs.com/Busy-Bee-Running-Thangs/release/183364

グランドマスター・フラッシュ Grandmaster Flash/本人役

80年代前半に最も人気があったグランドマスター・フラッシュ&ザ・フューリアス・ファイブ Grandmaster Flash and the Furious Fiveのリーダー兼DJ。DJの技術であるスクラッチを世に広めた人物と言われている。グランドマスター・フラッシュ&ザ・フューリアス・ファイヴは2007年にラップアーティストとして初のロックの殿堂入りを果たした。

photo:https://www.facebook.com/pg/grandmasterflashofficial/photos/

ファンタスティック・フリークス Fantastic Freaks/本人役  

ウォーターベッド・ケヴィ・ケヴ、マスター・ロブ、プリンス・ウィッパー・ウィップ、ルビー・ディー、ドッタ・ロック、DJグランド・ウィザード・セオドア Grand Wizard Theodoreからなるグループ。セオドアは、レコードを前後にこするDJのテクニック「スクラッチ」を生み出した人物。アルバムのリリースこそなかったものの、今作への出演そしてシングル『Can I Get a Soul Clap』でHIP HOPの歴史にその名を残す。

photo:http://groovesharks.org/artist/Fantastic-Freaks

コールド・クラッシュ・ブラザーズ Cold Crush Brothers/本人役

グランドマスター・カズ、イージーA.D.、ジ・オルマイティ・ケイ・ジー、JDL、DJトニー・トーン、DJチャーリー・チェイスからなる黎明期最高の実力派とされたグループ。今日に至るラップのルーティンの多くを作りながら、今ひとつレコーディングに恵まれなかった。最初のラップ・シングルと言われるシュガーヒル・ギャング『Rappers Delight』のラップは実はこのグループのリーダーであるグランドマスター・カズ Grandmaster Cazのラップを盗作したものだと言われている。

phpto:http://www.wilddogsinparis.com/project/the-cold-crush-brothers

ダブル・トラブル Double Trouble/本人役  

70年代後半から80年代前半のヒップホップ・シーンを代表するアクト、ファンキー・フォー・プラス・ワンのメンバーだったロドニー・シーKKロックウェルが、グループの脱退後に結成。今作で披露した「Stoop Rap」では、「名誉をふみにじられた」とファンキー・フォー・プラス・ワン時代に所属していたシュガーヒル・レコードへの思いをそのままラップしている。

photo:https://www.facebook.com/HipHoPhotoMuseum/photos/double-trouble-before-daze-piece-the-bronx-1981photography-by-charlie-ahearnwwwc/1294028084072911/

ロック・ステディ・クルー Rock Steady Crew/本人役  

1977年、ブロンクスで結成されたダンスクルー。メイン・メンバーのクレイジー・レッグスCrazy Legsを中心に、メインストリームの音楽ファンにまでブレイクダンスを知らしめた。『スタイル・ウォーズ』(1983年)『フラッシュダンス』(1983年)『ビート・ストリート』(1984年)にも出演を果たしている。現在、メンバーは35-40人程おり、ニューヨーク以外にも、ラスベガス、ロサンゼルス、オーランド、イギリス、イタリア、日本など世界中で活躍している。

photo:https://www.nyc-arts.org/events/66785/summerstage-rock-steady-crew-premiere-of-rsc-ghetto-made/attachment/rock-steady-crew

ブロンクスの若者たちの生き様

 HIP HOPが誕生したのは、DJクール・ハークKool Hercが故郷ジャマイカのサウンドシステムをブロックパーティに持ち込んだ1973年8月だと言われている。この映画の舞台は1982年。つまり、まだHIP HOPが誕生してから10年も経っていない。この作品は映画としての完成度が高いかと言われるとそれはわからない。しかし、その荒々しさによって逆にHIP HOPが生まれた当時のブロンクスという場所の空気感がよりリアルに感じられるのだ。

ブロンクスの若者たちにとっては、自分を強く見せることが生きる術だった。自然に“ワイルド”に生きなければならなかった。そして、その生き方をただ楽しんでいた。そこから生まれたのが「HIP HOP」という文化なのだ。この映画に映し出された彼らの生き様がそれを教えてくれる。

Written by Nozomi Tanaka