
「ストリートチルドレン」
それは、現代ではあまり馴染みが無いかもしれないが、1980年代アメリカでは確かに存在していた。
1984年、アメリカはシアトルにてその様子を鮮烈に記録したドキュメンタリー映画“Streetwise” (邦題: 子供たちをよろしく)が公開された。
アカデミー賞にノミネートされ、当時は多くの人が衝撃を受けたという。
僕はシアトルに2年ほど暮らしていたため、シアトルが舞台になっている映画に勝手に親近感を持って見てしまう傾向にある。(トムハンクス主演の「めぐり逢えたら」など。)
そんなきっかけで観たこの映画。今やシアトルの主要な観光地となっているPike Street などが出てくるが、そこで起きていることはとても僕が住んでいた街で起こっているとは思えなかった。
この映画に関して、僕なりに感じたテーマとメッセージを書いていこうと思う。<ネタバレ含む>
映画は、1人の少年Ratの語りから始まる。
“I love to fly. It’s just, you’re alone with peace and quiet, nothing around you but clear, blue sky. No one to hassle you. No one to tell you where to go or what to do. The only bad part about flying is having to come back down to the fucking world.”
「(麻薬で)飛ぶのは好きだよ。周りに綺麗な青い空が広がって、平穏と静寂だけがあるんだ。喧嘩する奴はいないし、誰にも何も指図されることもない。最悪なのは、現実のクソみたいな世界に戻るときだけだよ」
痩せ細ったRatは17歳で、年長者のJackと共に元々ホテルだった廃墟に住んでいる。ピザを不正に頼む事で食いつなぎ、道でお金を乞う事でなんとか暮らしている。とても荒んだ生活を送っているが、いずれ空軍に入るという夢を持っている。

Ratの友人で、いつか大金持ちになりたいTiny(本名Erin Blackwell)は、14歳にして売春で生計を立てている。性病などは当たり前、むしろストリートに暮らす若い女の子が売春をすることは彼女たちにとっては日常なのである。
小柄で痩せており、16歳とは思えないDeWayneもまた、物乞いや大麻を売り捌く事で生活している。
シアトルは当時から治安などの面から最も住みやすい街の一つとして知られていた。そのシアトルですらこのような現状が蔓延っているということが、この映画の一つのメッセージである。
彼らは学校にも行かずに日々を、命を、ストリートで消費する。売春、大麻だけでなく売血や暴力も日常茶飯事だ。しかしこの状況には全て理由があるのだった。全員に共通していることは家庭環境が荒んでいるということ。
Tinyの母親はアルコール依存症で、再婚した父親とはウマが合わない。離婚率が非常に高いアメリカではよくある事だという。母親は、Tinyが売春をしていることを知っているが、「言ってもどうせ無駄だから」と諦めてしまっている。
ある日飲んだくれた母親がTinyに暴力を振るい、ついに母親はアルコール依存症を治療する為に施設に入る決意をする。
畳み掛けるように、友人のRatがフロリダへ旅立ってしまう。偶然その数日前に捕まってしまったTinyは、留置所の中でRatとお別れをし、思わず泣いてしまう。彼女は孤独だった。

Dewayneは母親がおらず、父親は強盗と放火の罪で服役している。Dewayneは父に面会しに行き、彼からの愛を確認する。父親は彼を愛してるというが、現実には、側には誰もいない。
そしてある日大麻を売り捌いた事で捕まってしまうDewayne。
引き取り人を職員が探すものの、Dewayneを引き取りにくる者はいない。
そして数日後、彼はその若さで自殺をしてしまう。
職員はこう語る
“The one thing that Dwayne wanted was a family. He wanted to grow up as what he saw is just a regular kid. ”
「Dewayneがただ一つ欲していたのは家族だ。彼はただ、普通の子供として生きたかったんだ」

ストリートで育まれる小さな友情はあれど、彼らは皆孤独だった。
普通の家庭で与えられるはずの小さな幸せを、彼らは知らない。
TinyとDewayneが特別だったわけでは無い。この映画に出てくる少年少女は皆心に闇を抱えている。
これらがノンフィクションであるという事実が、ひたすら胸をえぐる。
ホームレス支援をしているNPO法人抱樸の理事長・奥田知志さんによると、
ホームレスの捉え方の一つに、
ハウスレス(経済的困窮)とホームレス(社会的孤立)
というものがある。家が無い人はハウスレスであり、本当のホームレスとは、心の居場所がどこにもない、孤独な人を指す。
Tinyがそうであったように、ストリートチルドレンはハウスレスでは無い場合も多い。しかし彼らは一様に、1番身近な家族からの愛を求めていた。普通であることを本当は望んでいた。
「僕たちは誰にも愛されていない」
子供たちの悲痛な叫びが、邦版サブタイトルには添えられている。
それでは、私たちが暮らす日本はどうだろうか。
社会的孤立という側面では、日本も他人事ではすまないかもしれない。
2005年に行われたOECD(経済協力開発機構)加盟国の中で、社会的孤立を感じている人の割合を調査した中で、日本は群を抜いて一位だった。アメリカと比べてみると、アメリカが3.1%だったのに対して日本は15.3%だ。
たかが15年前、されど15年前だ。
日本は、孤独を感じている人が多い国なのだ。
1980年代アメリカ、最も住みやすいと言われていた街で撮られたリアル。その衝撃もさることながら、
“Streetwise”は、日本に多く存在している社会的孤立者の一種の心象描写でもあるように思えてならない。
日本は恵まれた国だが、物理的な豊かさへのありがたさというよりも愛を受けることや孤独ではないということがどれだけ幸せなことかを再確認させられる映画だった。
映画に登場するTinyは、その後複数メディアに取り上げられるなどしている。
2016年には、Tinyのその後の人生を追ったドキュメンタリー映画“Tiny: The Life of Erin Blackwell”がシアトル国際映画祭で上映された。
“Streetwise”自体も今では入手困難だ。しかし、U25世代は親の手を離れている人、一緒に暮らしている人など多様だからこそ、彼女らのその後の人生も合わせて、一見の価値はある。
Written by Charlie Ohno